道頓堀で神様と


●信者さんのおはなし
「道頓堀で神様と」

金光教放送センター


 先日お話を伺った田中清三たなかせいぞうさんは、大阪生まれ大阪育ちの88歳。上背があり、肩幅も広く、がっしりとした体格の持ち主です。豊かな白い眉、年齢を感じさせない鋭い眼光が、ひと度話し始めるや、象さんのような優しい目になります。人をそらさぬその話しぶりには、さすがにこの大阪の街で長らく商売を続けてこられた方だと、思わず得心させられます。
 大阪と言えば、食い倒れの街。そして、川面に映る両手を挙げて走る人の電光看板や、頭上で手足を動かすカニの立体看板などを思い浮かべる方も少なくないでしょう。
 田中さんは、まさにその大阪ミナミ一番の繁華街、道頓堀で飲食店などが入るテナントビルを経営している会社の会長さんです。
 田中さんのお宅では、毎朝、コーヒーのいい香りが立ち込めます。父親の好きだったコーヒーを、田中さんが自分の手で入れてお供えしているのです。平成元年に父親が亡くなって以来、どんなに忙しい時でも欠かしたことはありません。毎朝神前に手を合わせ、両親にコーヒーをお供えすることが田中さんの日課になっているのです。
 田中さんに、金光教との出合いを尋ねると、父親のことから話して下さいました。
 和歌山県出身の父親が大阪に出てきたのが、小学校を卒業してすぐ。生活のために、既に大阪で働いていた兄弟を頼ってのことでした。それ以来、ご縁を頂いた人のお世話になりながら、一生懸命働いて信頼を得、店の経営に才覚を現しました。まだお店に勤めていた時に、父親のアイデアで天ぷら定食を出したらこれが大当たりしたとか、独立してうどん屋を営んだのは良かったのだけれど、場所が悪くて全くはやらなかったとか、お世話になった方に見込まれて飲食店の経営を任されたとか、聞けば聞く程、逸話に事欠かない波瀾万丈の歩みです。
 そして、このことをまるで自分のことであるかのように話すその口ぶりからは、田中さんにとって父親がどれ程大きな存在であるのか、感じずにはいられませんでした。
 5歳の時のことを、田中さんは、昨日のことのように振り返ります。ある日、父親が、普段見たことのないようなニコニコ顔で帰ってきました。「このおっちゃんに、立派な所へ案内してもらったんや」。
 聞けば、当時経営していたキャバレーの店舗改造を頼んだ大工さんに、「江戸堀の金光さん」へ連れて行ってもらい、そこの教会の先生に会ってきたということだったのです。その先生のところには、願い事を聞いてもらおうと、また、悩み事の相談に乗ってもらおうと、たくさんのお参りの人たちが、わーっと集まってくるのだそうです。
 そして、田中さんの父親が、「私を日本一にっぽんいちのキャバレー王にして下さい」と言うと、先生は、「よっしゃ!」と即座にひと言、力強く返してくれたそうです。田中さんは言います。「簡単には人を信じない父が、不思議なもので、このひと言で全て信じ切ったんですなあ」。
 事実、それ以来、父親は毎日、二度三度と教会にお参りするようになります。そして、事あるごとに、神様にお願いし、教会の先生に相談して事を進めていくようになりました。商売の後を継いでくれとは言わなかった父親が、信心だけは、何としても息子の田中さんに受け継がせようとする程に、大きな出合いとなったのでした。
 道頓堀の田中さんのビルは、元は、父親の経営するキャバレーのあった所です。戦前のこと、教会の先生に相談しながらギリギリの交渉をして、そのお店を手に入れることが出来たのです。教会の先生は、お店を見にきて、「ええ買いモンしたで」と喜んでくれたそうです。そのキャバレーは大きな利益を上げることが出来たものの、1年後には戦争により営業出来なくなり、ついに空襲で全焼してしまいます。その土地を戦後の混乱期には、文字通り体を張って守り抜いた、そういう所なのです。
 戦後、お店の経営に携わるようになり、田中さんは考えました。「これからは、老いも若きも、女性も男性も楽しめるお店にしたい。それなら食堂がよかろう。それも道頓堀のこの土地に、どこにも負けない食堂ビルを建てたい」と。そのことを、一つひとつまた神様にお願いし、教会の先生に相談して進めていくことになったのです。そして、昭和30年に食堂ビルが完成し、今に至っています。
 かつては大人の社交場として栄えた街、芝居小屋が人を集めた街が、今では家族連れや若者で昼も夜もにぎやかです。携帯を片手に写真を撮っている外国人も珍しくありません。田中さんのビルにも、若者に人気のハンバーグ店や居酒屋などが入り、たくさんの人でにぎわっています。同じ土地であっても、時代が変われば、人の流れも街の表情も、そしてお店も変わっていきます。
 しかし、その一方で変わらないものもあります。田中さんの父親にとっては、自分が出会った教会の先生への信頼。田中さんにとっては、父親への感謝の思い。そして何より神様を信じ、願う心。そのような、目には見えないものを大切にすることが、田中さんをここまで導いてきたのではないだろうか。そして、その今を支えているのではないだろうか。お話を伺ってそんなふうに思われたのでした。

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