生かされている喜びでいっぱい


●信者さんのおはなし
「生かされている喜びでいっぱい」

金光教放送センター


 長い人生の道のりの途中には、様々な予期せぬ出来事が起こり得るものです。「なぜ、自分だけがこんな目に遭うの」と悲観的に思うことさえあります。しかし、困難な状況と向き合いながらも、決して諦めないで一歩一歩人生を前向きに歩んでゆく人がいます。
 神奈川県・金光教登戸のぼりと教会に参拝する和田我八十わだあやとさんは、1980年生まれの36歳。我八十さんと金光教との出合いは、小さい頃体が弱かったことから、両親に手を引かれて教会に参拝したことに始まります。教会参拝の後は、家族そろって食事会に行くのが恒例で、とても仲の良い家族でした。
 ところが我八十さんが21歳の時、衝撃的な出来事が起こります。家族思いの優しいお父さんが49歳で帰らぬ人となったのです。我八十さんは当初、検査入院だと思っていただけに、お父さんの死を受け入れることが出来ませんでした。ちょうどその時、病院に来ていた教会の先生に、「何であれだけ神様に一生懸命なお父さんが死ななきゃいけないの」と涙ながらに訴え、「もう僕は絶対に教会にお参りしない」と言ってしまったのです。
 それからの我八十さんは大学を卒業し、亡くなったお父さんが務めていた建築設計事務所に就職することになるのです。お父さんの分まで頑張りたい。そのような気持ちで、仕事もプライベートも充実した日々を過ごしていきました。そんな普段と変わらぬ平穏な生活の中、今度は我八十さんに、思いも寄らぬ苦難が襲い掛かります。
 仕事の休憩時間に突然、頭をハンマーで殴られたような強烈な頭痛と吐き気に襲われ、倒れてしまったのです。救急車で病院に搬送された時には瞳孔が開く危険な状態で、すぐに頭蓋骨を外す手術が行われました。病名はくも膜下出血。25歳にして、まさに青天の霹靂へきれきとも言える出来事でした。
 集中治療室で3週間、生死の境をさまよいながら、良き医師と出会い、家族の懸命な支えがあり、そして本人の生命力により、3度の手術を無事に乗り越えることが出来たのです。我八十さんは、手術を終えてベッドの上で目を覚ました時、「あぁ生かされたんだなぁ」と、今ここに生きていることを実感したそうです。そしてこうして命がつながっているのは、亡くなったお父さんが側にいて助けてくれたのだと思うようになったのです。
 ところが、脳出血によって運動機能を司っている部分がダメージを受け、一生車椅子の生活を余儀なくされる、半身不随となる後遺症を患うのです。
 2カ月が過ぎ、リハビリ科に移った時には、会社の先輩や友人たちが毎日のように面会に来て励ましてくれました。たくさんの友人と他愛もないおしゃべりをして、ようやく笑って過ごせる日が来たのです。このことを通して我八十さんは、新たな命を与えられ、新たな恵みの中に生かされていく存在そのものに、大きな価値があることを感じ始めるのでした。
 その後、半身不随を抱えながらも、自ら人生を切り開いていくかのように辛いリハビリに励んでいきます。病に立ち向かい乗り越えようとするその姿に、神様は応えてくれたのでしょう。一生車椅子生活だと言われていた我八十さんは、杖をついて歩行が出来るまでに回復を遂げたのです。その当時、手術をした担当医は、「今、歩けていることは奇跡だと思いますよ」と話しました。
 倒れてから18カ月後、ようやく退院の時がきました。我八十さんのお母さんは、「歩くことが出来たお礼に教会へお参りに行こう」と我八十さんを教会に誘いました。なぜなら、これまで辛い経験をしてきたお母さんにとっては、教会が唯一の心の支えとなる場所であり、金光教の前向きな教えを頂きながら乗り越えることが出来たからです。我八十さん自身も、一度は神様から離れていましたが、自分の病気を通して命あることへの感謝の気持ちが目覚め始めていました。そして、お母さんと一緒に教会へ参拝することになりました。
 すると教会では、先生をはじめ、待ち構えていたかのように大勢の信者さんが集まっていました。信者さんたちは、我八十さんが笑顔で話す姿に感激し、涙を流しながら喜びました。そんな温かい雰囲気に包まれた我八十さんは、その時感じたのです。「自分の笑顔で周りの人たちがこんなに喜んでくれる。生かされた役目とはこのことか」と思い、それから教会へ足を運ぶようになるのでした。
 教会の先生の話に耳を傾けては、心に残る言葉を書き留めました。自分には聴くことも、書くことも、話すことも出来る。こう考えた我八十さんは、病気を通して得た体験と、教会で得た教えを友人たちに広めようと、ご自身の言葉で伝えたり、文章にして配布したりしています。信心して神様と向き合うことによって、人の助かりを願い、誰かを大切に思えることが幸せなのだと気付いたのです。
 こうして我八十さんは、神様を杖にすれば、幸せに生きていくことができると信じて何事にも前向きに捉えていったのです。
 今、我八十さんは建築設計事務所に復職し、在宅で仕事をしています。そして、最大の願いでもあった結婚がかない、さらに奥様のお腹の中には新しい命をも授かりました。
 最後に我八十さんは、「大変なことも多々ありますが、神様と亡き父に見守られる中、生かされた有り難みを感じて、とても幸せです」と話してくれました。

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