●信者さんのおはなし
「すがる場所があってよかった」
金光教放送センター
話は今からちょうど20年前にさかのぼります。
奈良県の最南端にある温泉地、十津川村で暮らしている玉田智子さんは2人目の男の子も生まれ、幸せいっぱいの生活を送っていました。ところが、その次男の智之ちゃんが生後半年ほど経ったころから血便が出るようになり、しばらくすると今度は体中に発疹が出、そこから膿が出るようになったのです。これはただ事ではないと、病院で診てもらったところ、「重度の食物アレルギー」だということが分かりました。
食物アレルギーと言ってもいろいろです。じんましんや発疹が出る程度のものから、重度になると、それに加えてショック症状が起こります。そうなると、血圧は急降下、呼吸困難に陥り、すぐに処置をしないと命を失うこともあるのです。
アレルギーのもととなるアレルゲンを聞いて智子さんは驚きました。小麦、卵はもちろん、何と米、牛乳、そば、肉、魚と、野菜以外はほとんどがアレルゲンだと言うのです。
それからの智子さんの生活は激変しました。アレルゲンの無い食材で離乳食を作っても、体の発疹は治まってくれないのです。痒みがひどく、布団に寝かせるとむずがるので、仕方なく毎晩、朝までおんぶして寝かせていました。
それでも出た膿は乾いて衣服にくっ付くので、着替えをするたびに皮膚が剥がれ、まるで象のように黒くてゴワゴワの皮膚になっていきました。ひと月ほど頑張ってみたのですがどうにもならず、ついに入院することになりました。病院の無菌室でステロイド治療を受けて2、3週間経ったころ、象のようだった皮膚が割れ、中からやっと奇麗な皮膚が見えるようになりました。
3カ月後には退院出来たものの、それからがまた大変でした。食材には細心の注意を払いながら、また同時に、アレルギーの治療もしていかなければならないのです。
治療のやり方はこうです。免疫力を高めるため、「負荷テスト」と言って、例えば一番大変だった小麦粉の場合ですが、1日目は、アレルゲンである小麦粉をわずか0.5グラム食べてみて、30分間、症状が現れるかどうか観察するのです。もし症状が現れなければ2日後にまた0.5グラムと、週に3回試してみる。うまくいけばそれを1カ月続け、それで結果が良かったら今度は1グラムを同じように1カ月、次は2グラムを1カ月と、徐々にその量を増やしていくのです。もし症状が出ればすぐにテストは中止、次は数カ月後、あるいは何年か間をあけて、また一からやり直さなければならないのです。
負荷テストの失敗は、子どもにとって心身ともに大変厳しいもので、またそれを見守る親にとっても大変なストレスでした。失敗すると目の前で可愛い我が子の苦しむ姿を見なければならないのですから。
そんな毎日の生活でしたが、会社勤めで忙しいご主人に頼ることは出来ません。智子さんはもう、いっぱいいっぱいになっていました。
そんな時、ふと金光教の教会のことを思い出したのです。実は、智子さんには病気が縁で教会へお参りされている妹さんがいて、その妹さんがいつも教会のことを話してくれていたのです。
智子さんは智之ちゃんを連れて車で40分かけて教会へお参りすると、先生は智之ちゃんを見て、「可愛そうになあ。信心しておかげを受けような」と優しく言って、一緒に神様に祈って下さいました。
負荷テストは親子ともに不安なものですが、教会ではどんなことでも本気で聞いてもらえるので、たまった思い、やるせない思いを全て吐き出せます。それだけでも智子さんの心は救われたのに、その上いろいろな教えを聞かせてもらえ、勇気も湧いてくるのです。実際に良い結果が付いてきたこともあって、テストの前には必ず教会へ参拝するようになりました。
先生から、「すぐに頂けるおかげもありますが、時節を待たないと受けられないおかげもありますよ」と言われ、すぐにでもおかげが受けたいと焦る智子さんの心も落ち着くのでした。もう、一人で悩まなくてもいいのです。
幼稚園、小学校、中学校と、進学するたびに、担任の先生や同級生にアレルギーのことを話しました。間違ってアレルゲンを口にすれば、大変なことになるのですから。
また、同級生と同じ物を食べさせてやりたいと、アレルゲンのない食材で給食と同じメニューの弁当を毎日作りました。その弁当作りは、幼稚園から中学校を卒業するまで実に11年間、ずっと続きました。
それでも、弁当以外のお菓子など、手違いで小麦粉、卵の入った物を口にして救急搬送されたことが何度もありました。
幼稚園の遠足の時は特に心配しました。そのころの十津川村は少しでも中心部から外れると携帯電話の電波が届かないので、救急車を呼ぶことすら出来ないのです。
治療のかいもあって、智之ちゃんの食べられる物もだんだんと増えていきました。
そして現在、智之ちゃんは大学2年生になり、1年前から奈良のアパートで一人暮らしをしています。2年前、やっと小麦粉アレルギーにも打ち勝って、パンも普通に食べられるまでになったのです。長い長い、アレルギーとの闘いでした。
智子さんは言います。
「もし教会がなかったら、こんなに根気よく治療が続けられなかった。何でも話せる場所、安心を頂ける場所、おすがりすることの出来る場所が、人口わずか3500人ほどの村なのに、そんな場所があって本当に良かった」と。