●信者さんのおはなし
「神様が見つけてくれたお嫁さん」
金光教放送センター
九州北西部、玄界灘に面する佐賀県唐津市。海岸には、長さ約4・5キロの松林が広がっています。日本三大松原の一つとして有名な虹の松原です。海の幸豊かなこの町で生まれ育った市丸善人さんは、今年62歳。虹の松原のすぐそばにある金光教浜崎教会にお参りしています。
善人さんのお母さんが嫁いで来られた時、食べることもままならないほど家は貧しく、「神様に助けて頂きたい」と、近所の方に付いてお参りしたことがきっかけで金光教の信心をするようになりました。
善人さんも子どものころから、お母さんに連れられて、教会に参拝するようになり、還暦を過ぎた今も、毎日、教会にお参りしています。「神様のおかげで、今の自分があると思うと、お参りせずにはおれないんです」と話す善人さん。
小学校低学年のころ、体と心の調子を崩したことがあります。体は火照り、心は不安定になって、寂しさと不安が広がってくるのです。そんな時は、いつも教会にお参りしていました。神様のそばに行くと、不思議と心が落ち着き、安心を取り戻したというのです。
中学生のころには、不安な気持ちが襲ってきても、心の中で、「金光様、金光様」と唱えると自然と気持ちが落ち着くようになりました。
中学を卒業して左官の弟子入りをした時のこと、親方の家にあいさつに行くと、金光教の神様がお祭りしてあり、驚いたことがありました。その後、仕事を変えて一人暮らしをするようになった時にも、自宅のすぐそばに金光教の教会があり、お参りすることが出来たのです。
親元を離れて不安な時期に、行く先々に神様がいて下さり、どれほど心強かったことか分かりません。
善人さんは、「今、振り返ってみると、いつも神様が先回りして、私を待っていて下さり、守って下さっていました」と話します。
20歳を過ぎて地元に帰った善人さんは、教会の青少年活動にも加わるようになり、参拝を続けていました。教会の先生は、いつも善人さんのことを気に掛けて、祈って下さり、人生の節目節目に、いつも善人さんを導いて下さいました。
善人さんの結婚に関わって、こんなことがありました。
段々と年を重ねるなか、なかなか結婚相手が見付からず、何度も何度もお見合いをするのですが、いつも断られてしまうのです。教会にお参りしては、良き結婚相手が見付かるように、神様にお願いを続けていましたが、30代を過ぎても結婚は決まりませんでした。そんななか、42歳の時のことです。教会に参拝されているある方が、一人の女性を紹介して下さったのです。ところが、その女性には小学6年生になる女の子がいると聞いて、善人さんは、会うこともせずに断ってしまいました。
すると不思議なことに、その日を境に胸に何かがつかえるような気がしてならないのです。数日経ってもその胸のつかえは取れずにいました。これはどういうことだろうと考えているうちに、ふと、「良い結婚相手が見付かるようにと神様にお願いをして、教会の先生にも祈って頂いておりながら、自分の勝手な都合で会いもせずに断るというのは、自分が間違っていた」と強く思われてきて、すぐさま教会に参拝したのです。
教会にお参りすると、先生が、「この間のお見合いの話、まだお断りが出来とらんが…」と話し掛けて下さり、「やっぱり今度、会います」とすぐさま返事をして、お見合いをすることにしたのです。すると気になっていた胸のつかえは、いつの間にか消えたのでした。
お見合いの後、善人さんは、6年生の娘さんのことが気になりながらも、その女性とデートを重ねていきました。そして、デートの約束をしたある日、いつものように教会にお参りすると、先生が、「善人、その娘さんを神様の氏子として大事に育てさせてもろうたら、市丸の家も立ち行くぞ」とおっしゃったのです。娘さんのことで、まだ迷いのあった善人さんは、先生の言葉で覚悟が決まりました。そして、ちょうど、その夜のデートの時、女性から、「娘に会って頂けますか?」と尋ねられ、すぐさま、「いいよ」と素直に彼女の気持ちに応えることが出来たのです。その後、話は順調に進み、無事、結婚することが出来たのでした。
「もし、あの時、教会の先生のお言葉がなかったら、娘さんに会うことをためらい、きっとまた断られていたと思うのです」と善人さんは当時を振り返ります。
奥様と結婚されて、20年が過ぎました。善人さんは変わらず教会へのお参りを続けるなかで、自分の心が大きく変わってきたと次のように話します。
「夫婦喧嘩をすることもありますが、神様が見付けて下さった嫁さんですから悪口は言えません。嫁さんを悪く言うのは、神様に文句を言うのと同じです。嫁さんのことを悪く言うよりも、自分の心を改めないと信心になりません。今、そんな風に思えるようになったことがありがたいのです」と。
当時小学生だった娘さんも既に結婚し、女の子が生まれました。善人さんにとっての初孫です。可愛くて仕方のない孫の写真を車のキーホルダーに付けて、いつもその写真に語り掛けています。お孫さんの手を引くように、「さあ、行くぞ」と写真に一声掛けて、善人さんは今日も教会へお参りに向かいます。