神様からの贈り物


●信者さんのおはなし
「神様からの贈り物」

金光教放送センター


 古くから港町として栄える、玄界灘に面した佐賀県唐津からつ呼子よぶこ町。日本三大朝市として知られる呼子の朝市には、有名なイカを始めとする新鮮な海産物が並び、多くの観光客で賑わっています。
 その呼子町にある金光教呼子よぶこ教会に幼いころからお参りをする平本暢子ひらもとのぶこさんは、今年55歳になるご婦人です。笑顔を絶やさず、夫と一人息子との暮らしのありがたさを語ります。
 「ありがたい」という文字は、「有ることが難しい」と書きます。実は暢子さんにとって、子どもを授かることは、まさに、「有ることが難しい」ことでした。
 暢子さんが27歳の時のことです。風邪をこじらせ、微熱が半年ほど続いたある日、仕事場の保育園で急に具合が悪くなり、救急車で病院へ運ばれました。両側の卵巣嚢腫のうしゅが破裂しているという診断で、緊急手術となりました。
 手術後、担当の医師から、「卵巣の全部を摘出せずに、かろうじて良い部分は残しておく方法を選択することが出来た」とうかがい、大変な中にもおかげを受けたことに感謝しました。
 そんな大手術を受けた暢子さんですから、「もう赤ちゃんを産むのは無理だろうな」と感じていました。その後、縁あって夫と出会い、結婚してから2年くらい経った時のこと。教会の先生が、子どものことについて、いろいろとお話をしてくれました。その時にハッとしました。「教会の先生は決して諦めずに、子どもが授かることをずっと神様に祈ってくれているんだ」。
 と同時に、「神様、神様」と言いながら、自分勝手な心で子どもを諦めていたことに気付かされたのです。
 暢子さんはすぐに産婦人科へ行きました。検査を受けると、赤ちゃんを授かるには、相当に難しい状態であることが判明しました。しかし可能性はゼロではないとのことで、相談した結果、自然受胎を前提とした治療方法を取ることになりました。
 その後なかなか結果は出ませんでしたが、ついにその日がやってきました。「もしかして…」そんな体の具合を感じ診察を受けると、お腹に新しい命が宿っていたのです。
 暢子さんは当時を振り返りながらこう言います。
 「私はもちろん大喜びでしたが、病院の先生は『奇跡だ! 奇跡だ! これは神様からの贈り物だね!』と大騒ぎで、『学会で発表するよ!』と興奮を抑えきれない様子でした。難しいケースであることは分かってはいたものの、その姿を見て、私が思っている以上に難しいことだったんだなあと、改めて実感したんですよ」
 教会の先生や家族に祈られ、神様の大きな働きに包まれている喜びを感じながら、暢子さんはその後、無事に男の子を出産することが出来ました。金光教には、「子を産むは、わが力で産むとは思うな。みな親神の恵むところぞ」という教えがあります。暢子さんにとっては、本当に神様に産ませて頂いたなあ、という思いでいっぱいになった経験でした。
 暢子さんはそれほどの「有り難い」体験をした後、教会にお参りするなかで、先生からは、「何もないことは当たり前ではないんですよ」ということを繰り返し教えられていきました。「何もないことは当たり前ではない」。毎日の変わらない、平穏な生活こそがありがたい、ということです。そのことを頭では分かっていても、心からそうは思えていなかったのでしょう。
 月日が経って、そのことに気付かされる出来事が5年前に起こります。暢子さんは2回の交通事故に遭うのです。
 1度目は春先でした。車を運転していて、右折しようと対向車が通り過ぎるのを待っていた時のこと、後ろから4トントラックに追突されたのです。外傷は無かったのですが、頭が重く、ひどく気分が悪い状態のまま救急車で病院へ運ばれました。体の左半分がとても熱く感じるのに、測ってみると熱は無い。真っすぐに歩いているつもりでも自然に体が左に寄っていく。下を向くと気分が悪くなる。真っすぐに歩いたり、下を見たり、そんな今まで当たり前だったことが出来ない…。
 暢子さんは退院してから、車に乗ることが不安な日々が続きました。それでも少しずつ車に乗ることが出来るようになった、その同じ年の夏の終わり。今度は運転中に、突然に対向車線から右折してきた車を避けようとして、壁に衝突してしまいました。この時も救急車で運ばれましたが、入院はせずに済みました。
 暢子さんはこの2回の事故の後、しばらくして自分の姿を冷静に振り返ることが出来たと語ります。最初の事故の後、当たり前のことが出来なくなってしまった自分。不安を乗り越え車を運転することが出来るようになったのに再び事故に遭った自分。
 そんな自分の姿を通して見えてきたのは、教会の先生から何度も何度も教えられた、平穏な毎日のありがたさ。そして、「何事も神様にさせて頂く」という言葉をいつも使いながら、それが形だけで、心からそうは思えていなかったこと。
 暢子さんは瞳を輝かせながら言います。「神様に子どもを産ませて頂いたなあと感じていたのに、いつの間にか、『何事も自分がしている、私がしようと思うから出来るんだ』と捉えてしまっていたんです。そのことに対して、今やっとそれは違うのだと言えるようになりました。『することの出来るおかげを頂いているからこそ出来るのだ』と気付かされたんです」。
 暢子さんは今、生活の中で起きてくる全てを「神様からの贈り物」として、毎日を生き生きと過ごしています。

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