●信者さんのおはなし
「金光教に出合えて」
金光教放送センター
昨年開業した北陸新幹線の新高岡駅から数十分。はるかに立山連峰をのぞむ富山平野にある金光教石動教会に参拝する大浦ふじ子さんは現在69歳です。
ふじ子さんには3人のお子さんがいます。若いころは公務員として働き、仕事と家事、そして子育てにと忙しい毎日を過ごしていました。
27歳の時でした。年末調整の事務作業に追われていた大みそかの夜、次男が突然、高熱に冒されたのでした。次男は、生後半年で髄膜炎にかかり、障害を持つ身となりました。
「この子を、何とか治してあげたい」といろいろな方に相談をしますが、「子どもに障害があるのは母親が悪いからだ」と心ない言葉に度々責められることもありました。その後、養護学校に通うようになり、そこで出会ったのが、同じように障害のある息子さんを持つ金光教石動教会の奥様でした。
教会の奥様とは知らず、いつも明るく生き生きした人だなと思っていました。
ある時、ふじ子さんの長男が東京の私立大学に進学するため、「授業料などの費用が多額で、毎月の収入では、どうしても赤字になってしまう。どうしたらよいだろう」と、教会の奥様に悩みを相談しました。「それなら、うちの先生に話を聞いてもらったらどう?」と言われて、初めて教会に参拝することになりました。
神様がお祭りされている右脇に設けられた「お結界」と呼ばれる場所に座っている先生に、ふじ子さんは、長男の学費のこと、次男の障害のことを話しました。
すると先生は、「それはご神愛ですよ」と話しました。「ご神愛?」と尋ねると、先生は、「神様の愛と書きます」と答えて下さいました。意味が分からないながらも、ふじ子さんは先生の温かいお話の口調に、胸のつかえがおりて、救われた思いがしました。先生に話をすると楽になる。つらいこと、苦しいことが、安心と喜びに変わっていく。そんな気持ちが湧き起こってくるのでした。
教会にお参りすると、神前に金光教の教えの中心である「天地書附」という額が掲げられていて、そこには、「おかげは和賀心にあり」という教えが書かれていました。それは、どんな困難なことが起こっても、自らの心を和らいだ喜びあふれる心にしていくことで、全てがおかげになっていくということを表しています。
お子さんが障害を持ちながらも、どうしていつも教会の奥様は、明るく生き生きとしているのか不思議に思っていましたが、これで合点がいきました。そして教会の奥様がいつもそばにいてくれたことも、ふじ子さんにとって大きな励みとなっていました。例えつらく苦しいことが起こってこようとも和らぎ喜ぶ心で乗り越えていく、そういう生き方があるのだということをふじ子さんは知ったのです。以来、時間があると車で30分掛かる道のりを、喜び勇んで参拝し、いつしか義理のお母さんまでも一緒にお参りするようになりました。
ふじ子さんは、公務員を退職の後、高齢者介護のボランティアを25年続けてきました。「この経験があればこそ、両親の介護も苦しい思いをせず、みやすくさせて頂くことが出来ました」と話します。
「いつか自分が、たとえ寝たきりになっても、『おかげは和賀心にあり』という教えのように、ベットの上でも有難いと思える心にならせてもらえたらと思います。不平不足を言っていたら幸せになれません」。ふじ子さんの心はそのように育てられていきました。
ふじ子さんは話します。「毎日さまざまなことがあり、楽な日は一日もありませんが、心の持ち方で変わってきます。何があっても、ヒヤヒヤ、ドキドキしなくなりました。たとえつらく苦しい時でも、教会にお参りすると、そんな私を神様が何もかも受け入れて下さるように感じます。子どもが熱を出すたびに、神様にお願いすると、すっと熱が下がる。ここへ来れば何とかなる。先生に話を聞いてもらうと自然に自分の心が楽になっていくのです。次から次へと様々なことが起こるのが人生ですが、そのたびに大きな災いは小さく、小さな災いはなくなるように感じます。先生がいつも神様にお祈りして下さっているという安心出来る、安らぎの心を持たせて頂く稽古が大切なんです」
ふじ子さんは、全ては神様がして下さった意味のあることと思い、安心の日々が送れるようになってきたのです。
大学を卒業して、結婚して横浜で働いていた長男が、家族そろって富山に帰ってきて、今は一緒に住んでいます。最近、ご主人が大病しましたが、お嫁さんが主人の食事の世話をしてくれています。近所の方からは、「あんたみたいにお嫁さんと同居して、幸せな人はおらんわ」と言われます。現在次男は施設で安らいだ日々を送り、長女も近くに嫁いでいます。
当初、長男の大学進学時に費用が足りないことで悩んで参拝したふじ子さんでしたが、無事に学費を納めることも出来ました。
初めて教会に参拝した時、先生の言われた「ご神愛」。「神の愛」と書く、その言葉の意味がだんだんと分かってきました。全て一切の出来事は私たち人間の助かりを願って下さる神様の愛情と感じるのでした。
「例え難儀なことが起こっても、和らぎ喜ぶ心を大切にする生き方で想像出来ないほど大きな大きなおかげを頂くことが出来るのです」
こうして、ふじ子さんは、金光教と出合い、今までを振り返り、晴れやかな笑顔で話して下さいました。