当たり前に感謝


●先生のおはなし
「当たり前に感謝」

金光教豊田とよた教会
佐野和子さのかずこ 先生


 「毎日学校に行けること、ご飯が食べられること、普通のことが出来るのは、すごいことなんだね」
 これは、現在21歳になる長男が小学2年生の時、1カ月ほどの入院生活を終えて、登校した日の言葉です。
 13年前のある朝、発熱して腹痛があったので、学校を休んで安静にしていました。2日ほど様子を見ましたが変わりないので、掛かり付けの小児科に行くと、「胃腸風邪」と言われ、薬をもらって帰りました。
 ところが、その夜、転げ回るほどの激しい腹痛がありました。翌日、また病院へ行き、レントゲンを撮ってもらいましたが、特に問題はありませんでした。嘔吐や下痢もないのに胃腸風邪なんだろうかと不審に思いつつ、翌日、近くの小児科に行き、昨日までの状態を話し診察してもらいました。「特に異常は見当たらないけれど、腹痛が気になるから総合病院に行ってみて下さい」と紹介状を渡されました。
 総合病院で検査を受けましたが、やはり気になる所はないとの診断でした。痛みのない時は本を読んだり、テレビを見たり、弟と遊んだり出来るのですが、痛み出すと七転八倒するので、治まるまでは見守るしかないのです。明け方また腹痛が起こり、嘔吐する気配があったので、「やはり胃腸風邪だったのか」と思いながら、用意しておいた洗面器で受けました。でも私の目の前に出てきたものは真っ赤な血でした。びっくりしてすぐに病院に電話をすると、「胃潰瘍いかいようかもしれないので連れてきて下さい」とのこと。
 胃カメラの検査や血液検査など、複数の検査の結果、アレルギー性紫斑しはん病だと分かりました。
 溶連菌感染症にかかり、アレルギー性紫斑病を発症してしまったのです。ペン先で「チョン、チョン、チョン」と突いたような出血斑は、おしりや太もも、膝の裏、ふくらはぎという下半身の裏側に出るために気が付かなかったのです。激しいお腹の痛みも紫斑病の症状でした。
 主治医の先生は、「溶連菌がのどに付き、体が治そうとして他の所に影響が出る。それがアレルギー性紫斑病だと思う。胃から血液が出たので胃を疑ったけれど、うちで初めから診察をしていても胃腸風邪としか言えなかったでしょう」と言われました。出血斑、関節の痛み、腹痛がある間は安静が必要なので、トイレなど、院内では、全て車椅子を使わないといけません。空気清浄が常に行われている病棟で、点滴による治療から始まりました。
 毎日40分掛けて点滴を入れるのですが、薬の副作用により、満腹感を感じることが出来なくなり、目にした食べ物は何でも口にしてしまい、吐くまで食べてしまうのです。さらに、吐いても食べてしまうので、注意が必要でした。
 2週間ほどで痛みは治まりましたが、出血斑が消えないので、1カ月ほどの治療となったのです。
 痛みが取れると学校の先生から届けられるプリントを持って、院内学級で勉強することが出来るようになりました。でも、車椅子の生活なので、段々と不満を言うようになりました。
 家族の多い普段の生活では、日常の家事に追われ、息子と向き合う時間も少なかったので、入院生活は、私にとって貴重な時間となりました。息子も学校のこと、友達のことなど、いろいろと話をしてくれました。
 私も息子にこんな話をしました。「夜が明け、朝日の明るさで目覚めること、洗面所やトイレに行けば、蛇口をひねるだけで水が出ること、時間になると温かい食事が運ばれてくること。それは多くの人のお世話になっているけれど、それよりももっと前に、神様から日差しや水というお恵みを頂いて生活出来ているのだから、当たり前のことと思わず、お礼の気持ちを持って使わせてもらわないといけないよ。学校にも元気な体でないと登校出来ない。元気な体を作るには、神様のお恵みのお日様を浴びて育った野菜や肉を食べて栄養を身体に蓄えないといけないのだから…」。息子は黙って聞いていました。
 息子も私と話をしたり、入院されている周りの方を見たりしているうちに、友だちと走り回ったり、自分の思うように出来ることは、決して当たり前のことでなく、とてもうれしいことなんだと思えるようになったのです。
 先日、高校生の次男が友達の家に泊まりました。帰ってきた時、「お母さん、友達の家では、朝起きたらそのまま食事するよ。着替えも歯磨きも食事をしてからするんだって。うちの家は、起きたら歯磨きをして、着替えてから食事するけどどうして? 食後に歯磨きをした方が良いから、僕も友達の家みたいにしても良いかな?」と尋ねてきました。
 そばで聞いていた長男が、「うちは、朝起きたら神様に、元気で朝を迎えたことをありがとうございますって挨拶に行くんだから、汚れた口やパジャマのままでは行かれんだろ。今日も元気に学校に行ける体をもらっているんだから、ありがとうございますって言わないと」と答えてくれたのです。入院は13年も前のことですが、毎日の生活の中で当たり前のことを喜ぶことがずっと出来ていることをありがたく思いました。
 当たり前のように過ごしている日々の中で、常に神様のお恵み、生かしてもらっているという「ありがたさ」を忘れずに過ごしたいと思います。

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