喜びの力


●信心ライブ
「喜びの力」

金光教放送センター


(ナレ)金光教の集会で行われた発表や講話などを録音で紹介する「信心ライブ」。
 今日は、岡山県・金光教児島赤崎こじまあかさき教会の藤井淳二ふじいじゅんじさんが、平成27年4月、金光教光政みつまさ教会においてお話されたものをお聞き頂きます。
 
(音源)母は交通事故に遭いまして、左足のひざ下を切断するという事故でありました。その時に、一命を取り留めたんでありますけれども、お医者さんから家族に対して、「意識が仮に戻ったとしても、足が無いことは絶対に伝えないで下さい」ということでありました。どんなショックを受けるか分からんということだったんでしょう。それで、意識が戻りまして、父が面会に行きましたら、母が一番に、第一声であります、「足があるん?」と言うてですね、聞いてくるんですね。父は、お医者さんからも止められていますし、言えませんね。それで黙っておりますと、2回目です。「足があるん?」と言う。父はさすがに、ごまかしも効かなくなりましてね、「命さえあればなあ、何とかなるからな、元気出せよ」と、言わば、ごまかしたわけであります。
 そういう状況の中での第一歩を踏み出したわけでありますが、その後の生活の中で、決して母は塞ぎこんでおるわけでなく、普通に過ごしていくわけでありまして、不思議に思った父がですね、「あの時のあの言葉はどうしたんなら、と。どういうことじゃったん?」と聞きましたら、あの時、自分が転んだ時にですね、まあ、大型トレーラーに引かれたんです。それで両足を引かれまして、片足はもう、あんまり具体的には言いませんけどね、無くなると。右足も複雑骨折でありました。それで、倒された時に、行こうと思うんですけれども、立てないね。で、血のりが5メートルぐらい付いています。だから自分で這ってるんですね。それで、触ってみたら足が無かった。足が無いという記憶があり、力尽きて倒れたというか、5メートル這ってね。その記憶があって気が付いたら病室、ICUですね、そこにおるということで。その時にね、左足はもう無いんですけれど、自分の中で足が無いのに、右のほうに何か指先のようなものが見えると。もしかしたら、足を残して頂いたんだろうかと思って、「足があるん?」と聞いたんだそうです。その言葉でですね、どれほど家族が助けられたか。「足が無い」ということ。もう自暴自棄に陥ってもしようがないと思うんですよ。今まであったものが無くなる、失うという。どうにもならん。なぜ私の命を助けたのと恨んでもしようがないかも分からん。でも、もし、その時に母が自分の足が無いことを悲しみ、嘆き、助けられた命を恨んでいたならば、我々は本当に針のむしろどころではない世界に落ち込んでおったと思う。母がですね、残された足をですね、喜ぶ。無い足を嘆くんではなくて、残された足を喜んだ、その生き方がなぜ出来るのかと、信心って一体何なんだろうかと、その不思議さ、それが私が金光教を知りたいと思ったきっかけなんです。
 母の喜びの生き方があればですね、何でも支えてあげられるんですよ。これしてやろうか、あれしてやろうかと。もしこれが、逆に悲しみであったらどうでしょうかね。そばにもおるのがつらいです。出来るだけ避けようとします。そこには悲しみ以外には生まれてこない。苦しみ、悲しみ…。まあ人間生きていれば色んなことが当然あります。けれども、そのことじゃなく、もっと恵まれたことを探していく。喜びをもって見出していく。そういう生活の中には、必ずや幸せが、さらには温かいものが生まれてくるんだということ。しかも、一遍に大勢の人がです、家族であり、お医者さん、その他の一切の関わりのある人。お見舞いに来られた人、祈りを込めて下さった大勢の方、袖をまくりながら輸血に来て下さった方々。そういう働きがですよ、生かされるんですよね。そこに不足を言っていたら、全てが死んでしまう。でも、それが生きてくる。そこにはまた更なる喜びが生まれてくる。その喜びは、一遍に大勢の人が助かっていく働きになっていく。ここなんです。
 お礼の心、喜びの心は、誰にでも出来ることなんです。それをもってすれば、一遍に多くの人たちが、一瞬にして助かっていく世界も生まれてくる。これが、お礼と喜びの力なんですね。ですから決して難しいことではない。このことを自分が大切にしていくこととして取り組んでいく、そのことによって、先々の運命は必ずや大きく変わってくるんだなということ。そのことを強く強く私は思っておるところであります。

 
(ナレ)お母さんの交通事故。藤井さんが高校生の時の出来事です。無くなったことを嘆くのではなく、残されたものを喜び、感謝の心で毎日を過ごされるお母さんの姿に、藤井さんは、人が生きていく上での大切なものを感じ取られました。そして、自らもそんな生き方がしたいと、お母さんと同じ金光教の信仰の世界に進み、教師となられました。
 どんな状況に置かれても、そこに喜びを見出していくことで、自分も周囲の人も救われていく。そんな喜びの生活を、皆さんも進めてみてはいかがでしょうか。

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