●先生のおはなし
「神様のシナリオ」
金光教安浦教会
山田泰弘 先生
私は現在、金光教の教師をしていますが、ここにたどり着くまでに様々な出来事がありました。そしてそのほとんどは、自分の思い通りにならなかったことばかりです。
高校生の時は、家庭の経済状況を考えて、大学へ進学したい気持ちを抑え、就職をしようと決心したこと。就職試験では、第一志望の会社を不合格になったこと。その後、地元の会社に就職するものの、仕事の上で事故を起こしてしまったことなど、挙げていけばキリがありません。
これらのことは、その時の自分にとっては都合の悪いことばかりです。そういうことが起こると、自分の中で、人や事柄を責める心、嫌だと思う心がニョキニョキと出てきます。「何で僕だけ我慢しないといけないんだ…」「先生は絶対合格するって言ったじゃないか…」「なんで僕がこんな痛い目に遭わないといけないんだ…」。
その時の自分にとってはしんどいことばかりでしたが、今にして思えば、一つひとつの事柄に、神様が私のためのシナリオを用意して下さっていたとしか思えないようなことが起きていました。
まず、就職試験についてです。私は、A社を第1志望にしていました。担任の先生からは、「お前なら絶対に大丈夫」と太鼓判を押されての受験でした。しかし、結果は不合格。人生最大の挫折でした。
そこへ、2次選考として募集が掛かったのがお世話になったB社です。その時は知らなかったのですが、その業界ではシェア世界一の会社で、例年であれば2次募集など掛ける必要がない程の人気会社でした。そんな会社から、奇跡的に私の高校に2次募集が掛けられました。それを担任の先生から紹介してもらい、地元であるB社に入社することが出来ました。
実際入社してみると社員教育にも熱心で、業務を通して色々な経験を積むことが出来ました。培った技術や考え方は、金光教の教師となった現在にも活かされています。何より上司や先輩、同僚にも恵まれ、そのつながりは退職した今も残っています。本当にこの会社に勤めることが出来て幸せだったと思います。
しかし、入社して半年が過ぎたころでした。研修中に私は事故を起こしてしまいました。硫酸という薬品が散って、目に入ってしまったのです。
表現出来ないような痛みと熱さにもだえ、「目が見えなくなるんじゃないか」という恐怖を抱えながら、応急処置をしてもらって病院に運ばれました。眼科の先生は、処置をしながら、「硫酸で良かったね」と言われました。「こんなに痛いのに、何てこと言うんだ!」と最初は思いましたが、私の勤めていた部署では、硫酸よりももっと危険な薬品を扱っており、「もし他の薬品であれば、最悪の場合、失明の危険があった」ということでした。
病院で治療してもらった後、私の尊敬する先生に事の顛末をお話ししました。先生は、「これも、神様が作られたシナリオの中でのプロセスですからね。神様は無駄事はなされません」と仰られました。その時は、「どういうことだろう?」と思いましたが、実際、このことが原因で視力が落ちることもありませんでした。更に、この後に私が新入社員教育を受け持つようになり、後輩に対して自分自身の体験として薬品の危険性を伝えることが出来たのです。後輩も生の体験話を聞くことで、気を付けてくれるようになりました。私がつらい体験をしたことが、本当に無駄にならなかったなぁと思えた出来事です。
そんな中、私が神様の働きを一番感じたのは、父を看取ることが出来たことです。
父に病気が見付かり、入院していた病院が私の勤めていた会社のすぐ裏であったことで、毎日仕事の後にお見舞いに行くことが出来ました。私が病室に顔をのぞかせると、父はその時に出来る精いっぱいの笑顔で迎えてくれました。それは、お見舞いに来てくれた皆にそうでした。そして不思議なことに、父を元気付けるために来て、会話した多くの人が、逆に元気になって病室を出て行くという姿を度々目の当たりにしました。私は、そういう父の生き方を見て、跡を継いで金光教の教師になりたいと決心することが出来たのです。
もし高校生の時に自分の希望通りに大学へ進学していたら、大学入学と共に実家を飛び出していたでしょう。もし就職試験の時、第一志望のA社に合格していたら、転勤が多い会社でしたので、父の看病が出来なかったでしょうし、最期を看取ることも出来なかったと思います。そして今の私はいないでしょう。
この様に、後になって一つひとつを振り返り、思い直した時に、起きて来たこと全て、神様が将来の私が生きていくために用意して下さった、必要な出来事ばかりだったんだと考えさせられます。
自分にとって都合の良いこと、悪いことって何でしょう? 自分の思い通りになることだけが良いことで、自分の思い通りにならないことは全て悪いことでしょうか? もしも起きてくる事が神様の作られたシナリオだとしたらどうでしょう。神様は、私たちの先の先を見通し、今この瞬間に必要なことを私たちに用意してくれているのではないでしょうか。
私は今でも、起こってくること、その時々に都合が悪いなぁと思うことはたくさんありますし、責める心もまだまだ出ます。しかし、それも神様が用意して下さった最高のシナリオとして、先を楽しみに受けていきたいと思います。