●こころの散歩道
第4回「小さな親切」

金光教放送センター
私が仕事で大阪から京都に向かう電車内での出来事です。車中の席は座れそうで座れない感じ。キョロキョロと辺りを見渡すと、数年前、私の娘が通っていた高校の女子生徒が2人座っていました。この時刻だとクラブ活動の早朝練習かなと思いつつ、娘の高校時代の姿と重なって、懐かしく愛おしく思えたのです。
途中の駅からおなかが丸く大きく膨らんだ妊婦さんが乗車してきました。ちょうど、2人の生徒の近くに立とうとした時、彼女たちは耳元でヒソヒソ話をしています。
「席、譲ったほうがいいかな?」
「うん、お母さんは大変って言ってたよ」
「じゃ、うち(私)が譲るわ」
「ハルちゃんは足が痛いでしょ」
ハルちゃんの左足首には包帯が巻かれています。ところがハルちゃんは間髪を入れずに、「次の駅で降りますので、どうぞ」と、その女性に声を掛けたのです。
女性はほほ笑んで、「ありがとうございます」と席に座りました。
そして、2人は恥ずかしそうに別の車両に移動していきました。
私はなんて良い子たちなのだろうと思いました。ハルちゃんは足が痛いにも関わらず、それに次の駅で降りるわけでもなく、妊婦さんに気遣って席を譲ったのです。彼女たちが見せた思いやりは、周囲の人たちまで温かくしてくれました。とっても勇気ある行動です。勉強も大切ですが、ずっと価値のあるもの。それは人間味あふれる生き方が出来るということ。彼女たちの小さな親切が回り回って、いつしか彼女たちが困った時には、誰かが手を差し伸べてくれることを願って、私は彼女たちを見送りました。
私が自宅で仕事の原稿を執筆していた時の出来事です。突然の激しい雨。今日の天気予報は晴れなのにと思いつつ、慌ててパソコンを閉めて、身をすくめていました。
外を見ると、傘を持たずに行き場を失ったスーツ姿の男女が、小さな店の軒下で雨宿りをしています。2人の間に会話がないことを思うと、どうやら他人のようです。この閉塞的空間から一刻も早く抜け出したい様子ですが、雨の勢いは一向に弱まる気配がありません。男性は次の予定があるのか、時計を気にしています。
これ以上傍観しておれなくなった私は、家にあるビニール傘を数本取り出し、ためらうことなく2人の元へ駆け寄ったのです。
「これ、どうぞ使って下さい。差し上げます」と傘を差し出しました。私は、おせっかいは警戒されるかなと一瞬思いましたが、「いいんですか?」という2人の笑顔に少し救われた気がしました。2人は感謝の意を表して、足早に去ったのです。
「あぁ良かった」
ちょうど同じ時刻、私の父も別の場所でこの豪雨に遭っていました。病院の帰り道、大粒の雨が勢いよく落ちて来たので、ガレージの屋根の下へと駆け込んだのです。そこには、60代後半と思われる男性が一人、先に雨宿りしています。しばらく二人で空を見上げていましたが、雨は一向にやみそうにありません。
男性は携帯電話を取り出し、「傘を持ってきて」と、誰かに電話をしています。携帯電話を持たない父は、雨がやむことを願うことしか出来ません。それから数分後、男性の奥様らしき女性が傘を2本持ってやって来て、男性に手渡しました。すると男性は、「これ、どうぞ」と父にそのうちの1本を差し出したのです。驚いた父が、「今、小銭を持ってませんし、後でお返ししますので」と応えると、「いえいえ、この傘は、親切な人からもらったものです。差し上げます」と言われます。父は2人に何度も頭を下げ、謝意を述べて別れたのです。こうして父は雨に濡れることなく、このご恩をどう返せるのかと思いを巡らせながら帰路についたのでした。
実はこの話、ここからがもっと素敵なのです。
それから数日後のことでした。私は職場の人間関係や仕事で、心身共に疲れ切っていました。ようやく休日が来たと思ったら、この日も朝から携帯電話で上司と仕事のやりとりがあり、少しイライラしていた時のことでした。
「ピンポン」と玄関のチャイムが鳴り、ドアを開けるとスーツ姿の男性が立っていました。「先日、大雨の日に傘をお借りした者です」。あぁそういえば…。私は傘のことなどすっかり忘れていました。すると男性は、満面に笑みを浮かべて、「実はあの時、新規の商談に行く時で、傘をお借りしたので間に合いました。あなたのおかげで、商談が成立したのです」と丁寧にお礼を言われました。そして「私と同じように困った方がいたら、またこの傘を貸してあげて下さい」と傘を返されたのです。
私はその時、何かが自分の心の扉をノックするのを感じました。この男性と再会することによって、ここ数日間のイライラが一気に解き放され、私自身が救われたのです。そして後に残ったものは、なんとも体が溶けそうなほど心地いい、すがすがしい気持ちでした。
知らない人同士が小さな親切でつながっていく。素敵なことだと思いませんか。小さな親切は、他人へのちょっとした気遣いなのですが、回り回っていつか自分や家族や周りの人たちに返ってくることもあるやもしれません。