●先生のおはなし
「信心の賜物」
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金光教東九条教会
上手正弘 先生
以前、食事会の席でヨシオさんという知り合いの年配の男性から話し掛けられたことがありました。
「ちょっと見て下さい。今、私が着ている服は自分で買った物ではなく、全部、人から貰った物なのです」
私は、突然のことで、「どういうことですか?」と聞き返しますと、ヨシオさんは、「私が住んでいる家と、お店が火事に遭いまして、家財道具一式が焼けてしまい、全部使い物にならなくなりました。ですから、今着ている服は助けて頂いた物なのです」と答えられました。
以前ヨシオさんのお隣りの家が火事になり、その火がヨシオさんの家に燃え移り、数軒に渡って被害が及ぶ大惨事となりました。ヨシオさんは、火事に早く気付かれたことで、家族はけがもなく無事であったと聞いていました。
ヨシオさんは、私が奉仕する教会に縁のある金光教八条教会にお参りされている方でした。しかし、火事に遭われたのは数年前のことでしたので、次第に私の記憶から遠のいてしまい、すぐに服のことと火事が結び付きませんでした。「そうでしたね。火事に遭われた時は大変でしたね」と私が言いますと、「大変でした。でもね、そんな中でも神様からおかげを頂きました」と言われます。
ヨシオさんはご自宅で飲食店を営んでおられました。火事に遭われた後は、家財道具もお店も焼けてしまいましたので、当然商売も出来ない状態になりました。ヨシオさんは教会の先生に、「当分、仕事も出来ませんし、住む所も探さなくてはなりませんので、お参りすることが出来ません」と電話で連絡されました。すると先生は、「そんなことを言うてたらあかん。常日ごろから信心することも大切だけれども、難儀な時にこそ、すぐに参拝に来なさい」と言われました。
ヨシオさんは、「そうだな、こういう時だからこそ、お参りしよう」と思い直されて、教会にお参りされたのでした。ヨシオさんは、「なんでこんなことになったのだろうか?」と思いながら、教会のお広前でご祈念されました。すると、だんだんと次のようなことが心に浮かんできました。
「思い返せば、学校を卒業してからずっと働き通しで、足腰などは痛み、体の節々に不安を抱えている。火事に遭ったことはつらいことではあるが、仕事はもうその辺にしておいて健康のおかげを頂きなさいと神様から言われているのかもしれないな」と思えてきました。また、かねてからお店の辞め時を模索されていたこともあり、「色々なことを考えたら、これは神様のおかげではないか。このまま仕事を続けていたら、体調を崩してもっと難儀な状態になって、家族に迷惑を掛けることになっていた可能性もある。家も店も焼けてしまったけれども、何よりも私や家族の命が無事であったことは、ありがたいことであった」と思われたのでした。
その後、新たに住む家もすぐに見付かり、また、仕事も息子さんが経営する飲食店で働かせてもらうことになりました。自分の体調と相談しながら仕事が出来るおかげを頂かれたのでした。ヨシオさんは、「火事に遭った前と変わらず、服も着せて下さり、食べ物も与えて頂き食べさせて下さる。日々の生活に何の不自由をすることもないように、神様は準備して下さっていたんです」と話されるのでした。
ヨシオさんは、「自分勝手な考え方をして神様からのおかげを受けられずにいたかも知れないところを先生に参拝を勧められて、神様がおかげを下さっていることに気付かせて頂いた」と話されていました。ヨシオさんは、このことを通して、自分の信心の在り方を見つめ直す切っ掛けとされました。
これまでは神様にただ漠然とお祈りをしていましたが、まずは、日々、安全無事に生活させて頂いているお礼を申し、それから火事を通して気付かせて頂いた自分自身の健康のこと、さらに自分だけではなく家族の健康のことを願わしてもらおうと、神様へのお礼の在り方、お願いの仕方が今まで以上に心を込めたものに変わっていきました。それからはありがたいことに、悪かった足腰が痛むこともなく、健康のおかげを頂きながら働いておられるのでした。
私は、火事に遭えば、誰しも恨みがましい気持ちを湧き起こらせても不思議ではないと思います。そんな境遇の中、ヨシオさん自身もその思いを少なからず持ちつつ、先行きの不安を抱きながら教会に参拝しておられたように思うのです。しかし、神様に心を向け、お祈りすることで自分にとってプラスとなるものに次々と気付かせて頂き、それに響き合うように、周りの環境も徐々にヨシオさんを生かそう生かそうと整っていくことに、私は感動をもって聞いていました。
ヨシオさんは火事に遭った後、教会にお参りして、神様に心を向ける中で気持ちを切り替えることが出来ました。「神様からおかげを頂きました」と、私に話し掛けようと思われたのは、火事に遭う大変難儀な体験をされながらも生かそうとする神様の働きをお感じになったからこそでした。そのことをありがたく受け止めて今日を迎えておられるのは、まさに信心の賜物だと思えるのです。