●先生のおはなし
「心のよりどころ」

金光教石動教会
宮田美子 先生
昨年の夏は暑さが厳しく、体の不調を感じられたり、気持ちが落ち込んだり、いら立ちを抑えられなかった人もあったかもしれません。
そんな中で教会にも2人の方が助かりを求めて、駆け込んでこられました。
一人は70歳の利男さんでした。
利男さんは、私が奉仕する金光教の教会に、いつも熱心に参拝され、教えに触れ、金光教との出合いを喜んでおられました。
7月の初め、「耳鳴りがひどく、何とかおかげを頂きたい」と教会に来られました。いつもの穏やかな笑顔は見られず、表情のない能面のような顔で、ヨタヨタしながら参拝してこられ、とてもつらそうでした。
突然、両方の耳にセミが鳴いているような騒音が響き、そのうち止むだろうとつばを飲んだり、耳を引っ張ったりされていました。それでもいっこうに良くならず、まずは耳鼻咽喉科に行かれ、検査をされましたが、年相応の聞こえの悪さはあっても、全く異常なしだったそうです。
家族の人も心配され、近くの内科や総合病院の神経科に一緒に行って受診されましたが、原因は分かりませんでした。
耳鳴りから、だんだん眠れなくなり、ひどい不安が襲い、次から次へ心配が広がっていき、パニック状態の毎日に見えました。
あれだけ大好きだった参拝も、だんだん足が遠のき、眠れない不満を皆にぶつけられ、これまで祈られ助けられてきた自分が、以前ほど神様を実感出来ないことにいら立っておられました。
私は、出来るだけ利男さんの思いに寄り添って受け止め、話しを聞かせてもらい、「いっしょに神様にお願いしましょう」と、不安や心配を祈りに変えて、自分の力ではどうしようもないことを、神様からのメッセージと受け止められるように共に祈っていました。
しかし、利男さんの体調は良くならず、眠れない日が続いていました。
そんなある日、苦しみのため、神様までも疑い、不幸を嘆いておられた利男さんが、一心の祈りの中から、「すべて神様にお任せしよう」と決心され、薬も祈りを込めて頂かれるようになってきました。
すると有難いことに、「3時間は眠れるようになりました」と喜びいっぱいに話されるようになり、少しずつですが、耳鳴りが治まってきて、落ち着きを取り戻されました。そして今再び、「神様の働きの中に、生かされて生きている」とお礼を申される生活を送っておられます。
さて、昨年の夏にもう一人、どうしても助かりたくて、教会に飛び込んできた人がいます。
「あなたの悩み聞かせて下さい」と書かれた外の掲示板を見て、朝、私が外に出てくるのを待っていた中学校の制服を着た少女がいました。「すみません、お金はいくらですか」と声を掛けてきました。
「おはよう、お金はいりませんよ。ちょっと中に入って話をしませんか」と誘うと、ためらいながらも中に入ってきました。
2人でお広前の椅子に並んで座ると御神前をジーっと見ていたのですが、別に質問するわけでもなく、悩みを打ち明けるわけでもなく、出したジュースだけを飲んで、「ありがとうございました」と部活に出掛けて行きました。
それから1週間ほどして、玄関のチャイムが鳴り、出ていくと、先日の少女、ミキさんが立っていました。
「あら、こんにちは、どうぞ」と勧めると、今度は力強く、「はい、ありがとうございます」と中に入ってきました。またお広前の椅子に並んで座ると、ポツポツ話し始めました。
やはり、学校でいじめがあり、心ないいたずらをされたり、仲間外れにされていることを不安そうに訴え続けました。私は、悩みを訴えるミキさんと、どう向き合ったらいいのか分からなかったのですが、「大空に高く揚がる凧は、風を受ければ受けるほど高く揚がるんだよ。きっと今、その風を受けている時だよ」と、不安で押し潰されそうになっているミキさんに話をしました。そして、これから安心して学校生活が送れるように、「一緒に神様にお願いしよう」と声を掛け、2人で手を合わせ、祈りました。
それからです。時々ですが、ミキさんは、朝、学校に行く途中、教会にちょっと寄って、「おはようございます」と声を掛けて登校したり、下校時には、「水を飲ませて下さい」とか「トイレを貸して下さい」などと理由を付けて、元気に教会にやってくるようになりました。
たぶん、まだ神様の存在も、金光教という宗教もよく分かっていないと思いますが、「あそこに行けば、うれしい。何か安心出来る」と、喜びを感じてくれれば、これからの長い人生においても、きっと大きな支えになっていくことと思います。
私自身もこのミキさんとの出会いから、改めて日々神様のおかげの中に生かされて生きていることにお礼を申し、何が起こるか分からない生活の中で、「ありがとうございます」と受けていける信心の成長を願い、あまり先のことまで考えず、今を大切に、神様から頂いた時間をしなやかに乗り切って行きたいと願っています。
冒頭にお話した、長い間お参りを続けてこられた利男さんにとっても、初めて神様にふれたミキさんにとっても、教会という所が、心のよりどころとなっていけるように、また、不安や心配が祈りに変わって前向きに生きていけるようにと願っています。