大晦日のお祭り


●信心あればこそ
「大晦日のお祭り」

金光教放送センター


(ナレ)あまりに苦しい出来事が続くと、誰しも逃げたくなるものだと思います。しかし、信心を支えに苦難を乗り越え、今、幸せな日々を送っておられる方がいます。大阪府在住の國安佐智子くにやすさちこさん、77歳の元気なご婦人です。明るい笑顔からは、過酷な経験をされた方とは思えません。
 國安さんご一家に悲劇が起こったのは、まだ結婚して間もないころでした。小児まひの4歳の長男と、3歳の次男が目を話したすきに見当たらなくなりました。外へ探しに出掛けると、交通量の多い道路脇にいました。

(國安)「あんたたちはどこ行っているの」って、つい声掛けたら、「お母さん迎えに来たから、お兄ちゃん帰ろう」って、言うて、こっち渡ったんです。そしたら自動車に目の前でやられた。もう腰が抜けて、もうほんまにその時は、どんな言うていいやら。

(ナレ)次男が障害のある兄を守るようにして亡くなったのです。谷底に落ちるような気持ちでしたが、その翌年、長女を授かることが出来ました。無事に小学生となり、ある日、友人の家に遊びに出掛けましたが、なかなか帰りません。その時でした。近くで事故があったと連絡がありました。

(國安)その現場まで行きましたらね、私の娘の靴が片一方ありますねん。もうそこから歩けなくなりましてね、脇の下を持ってくれて、やっとこさ近くの外科に連れて行かれました。そうしたら、「お母さん、今ね、お嬢さんの手当をしていますから、ちょっとそちらの部屋で待って下さい」って看護婦さんが言うんです。1時間たっても2時間たっても会わせてくれないんですねん。そのうちに主人が、「連れて帰ろう」って言うたんです。「どこに行っているの」って言ったら、「もう亡くなっているよ」って言われた時には、本当にもう。可愛いねえ、次男が亡くなった後生まれたから、また、可愛かったですねん。顔も可愛らしいしね。気性も可愛いしね。もういいとこばっかしが思い出されるんですけどね。

(ナレ)2人の子どもを亡くした國安さん。張り裂けそうな思いをぶつけられるのは、教会の先生でした。嫁いでから姑に導かれて信心を始めていた國安さんでしたが、日頃から優しく教えて下さる先生に心から信頼を寄せていました。

(國安)今でも覚えてますけどね。「神様も仏もないです。金光様も何もないです。もうこんなに私のところ、不幸なことばかり出て、私が何を悪いことをしたんですか」言うて。そうしたら、先生泣きながらね、「私の願いがなあ」言うてね、ものすごい先生も、「足らなかったなあ。悪かったなあ」言うてね、自分の足らないところを。うん。いや、もうあまり先生を追い詰めてもあかんなあ思うほど先生も、うん。

(ナレ)ある時、先生が話してくれたお話が國安さんの胸を打ったと言います。それは金光教の教祖が家族を五人亡くしながらも、信心をして自らの心を磨いていったという話でした。

(國安)5人もと思いますよ。2人でこんだけつらいのに、5人亡くなって、そういう悲劇に遭いながらも、金光様は、その人のせいにはせず、自分の生き方をものすごい反省したという話を聞いたんです。金光様ってお偉い方やなあ、普通の人間じゃないわとね。私は2人を失って、こんなに参って、いっしょに死んだほうがどんだけ楽かと思うのに、金光様は5人続けて亡くなって、それでそれを金神のせいにせず、自分の生き方をものすごく真摯に受け止めていかれた。その驚きが、もう一番ありましたね。うん。私、この真似出来るかなあ。真似させてもらわなあかんな、と。

(ナレ)先生からよく教えられたのは、「信心は家庭に不和のないのがもとである。得をすると思って、物事をこらえるのが第一である。言い争わないのがもとである。家族中そのことを心得て信心すれば、万事におかげをくださる」という教えでした。

(國安)家の中、やっぱり夫婦が仲良くしなかったら、いいことが起こらないなあと。やっぱりちょっと言い合いになったら、ああ、悪かったなあ、出る前に、一言多いこと言ったらあかんなあと思ったり。だから先生がおっしゃるように、「家内に不和のなきが元なり」いうことが、これあるなあ。

(ナレ)そうする中で國安家に、再び新たな命が誕生しました。男の子と女の子が生まれました。

(國安)うれしかったですよー。だけどね、あの2人続けて死んだから、また死ぬんじゃないかなと、うれしいのと怖さとそれ半分半分でしたよ。また、晩みんなの寝顔を見たら、今日も一日ありがとうございましたと、神様に手を合わせなんだらおれなかったです。やあうれしいな。主人が会社から帰ってきたら、ああ、家族みんな揃ったと思ったらね、で、子どもも元気に遊んで今日も一日ありがとうございました。

(ナレ)それから長い月日が流れ、3人の子どもたちもそれぞれ立派な大人となりました。
 今、國安家の毎年の恒例行事は、大晦日に、教会で一年の無事を神様に御礼申し上げるお祭りです。

(國安)私が嬉しいんですねん、もうみんながね、気持ちよくね、お参りして、ほして、それぞれの気持ちがやっぱし、こもった物をお供えしてくれますからね。

(ナレ)様々な苦難と出合った國安さんの人生でしたが、そこを乗り越え、多くの喜びを神様に頂いたありがたさ。その実感が年末のお祭りに込められているのでしょう。

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