●信心あればこそ
「広やかな世界へ」
金光教奈良教会
西数枝 さん
私はおよそ40年の間、結婚式や葬儀式、パーティなどで、司会、ナレーションのお仕事をさせて頂いております。現場は、大阪府内のあちらこちらにありますので、移動することが大変多い仕事です。通勤するにも、お取引関係の事業所を訪ねる時も、移動にはずっと車を利用してきました。
けれども今から2年前、車のリース期間が終わったのを機に、思い切って再リースをやめることにしました。幸い大阪市内の交通の便利が良い所に暮らしていますので、車が無くても、それほど移動に困ることはなく、経費を削減するためにも、健康のためにも良いと考えたからでした。オフィスや仕事現場に行くには電車やバスを利用することにし、近場には自転車も使おうと、電動自転車も購入しました。
それまで長年、車ばかり使っていましたので、この決断はみんなを驚かせ、仕事関係の方からも、「愛車はどうしたの?」と尋ねられるほどでした。
ところが、電車での移動は、思っていたほど簡単ではありませんでした。一番戸惑ったのは、ラッシュアワーの時の歩き方でした。混雑する駅の構内では、少しでも気を緩めると、人とぶつかりそうになったり、気が付けば自分だけが大勢の人の流れに逆らっていたりして、明らかに迷惑そうな眼差しを受けたりします。「あっ、失礼しました」「ごめんなさい」。その度に自分を腹立たしく思う、多難なラッシュアワーデビューでした。
乗り換えに失敗することも度々ありました。「今日はスムーズに電車に乗れた。ラッキー!」と胸をなで下ろした瞬間、「この電車は…」という行先アナウンスを聞いて、乗り間違えたことに気付くのです。人をかき分けかき分け、慌てて降りる始末です。
こんなふうに、最初の3カ月ぐらいは、本当に間抜けな失敗ばかりでしたが、近頃は、自分のスピードに合う人を素早く見付けて、その後ろを歩くという、流れに逆らわない工夫も出来るようになりました。乗り間違えることも、ほとんどなくなりました。
少し落ち着いてきた今から見れば、この経験は私にとってとても貴重だったと思えます。ラッシュアワーの厳しさくらい前々から分かっているつもりでしたが、実際に経験してみて、これほどのものかと知り、人の生活の中には、自分の想像の及ばない、いろんな苦労があるのだなあと気付かされたのです。
車内がゆったりしている時間帯には、老若男女の仕草を微笑ましく眺めたり、赤ちゃんの泣き声に、「何をして欲しいんだろう?」と思ったり、通学中の生徒に話し掛けてみたりして、多くの方たちと袖を触れ合う楽しみを感じるようにもなりました。
一方、新しく買った電動自転車も、大活躍してくれています。慣れるにつれて使う距離がだんだんと伸び、ある時には16キロもの道を移動したこともありました。
自転車に乗っていると、いろんな発見があります。例えば、歩行者や自転車は、街のあちこちで階段やスロープを上ったり下りたりしなければならず、ほとんどの道路が車優先で作られていることに気付くのです。
長年、車社会の恩恵にあずかっていた私は、自転車や歩行者の立場を全く理解しようともしませんでした。それどころか、ゆっくり走る自転車を邪魔に思ったことさえあるのです。何と思い上がった考えをしていたことでしょう。
現在、日常的に自転車で移動する距離は約7キロ。四季の移り変わりを肌で感じながら、ゆっくり移動を楽しんでいます。時には、眺めの美しさに心を奪われることもあります。川面の向こうに沈んだ夕陽が名残を惜しむように高層ビルを茜色に染めるころに差し掛かると、思わず橋の上に自転車を止めて、しばし見入ってしまいます。
昨年の夏、仕事仲間の先輩に誘われて、立山黒部アルペンルートの中心地、室堂平へ行きました。標高2450メートルまで電車やケーブルカー、バスなどを幾度も乗り換えて上るのです。以前の私なら行くことをためらったに違いありませんが、脚力に自信がついてきた私は、さっそく登山の身支度を調え、張り切って連れて行ってもらいました。
雨の予報が出る中での出発となり、立山駅から美女平、弥陀ヶ原と登って行くうちに霧雨が降ってきて、室堂平へ到着した時は、山小屋などがしっぽり濡れていました。
星空など到底見られないと諦めていましたが、なんと少しずつ雲が晴れ、夜8時、天の川が出現しました。私たちはもう大喜び。翌朝の散策も晴天に恵まれました。
車を手放して以来、都会の風景にも、大自然の美しさにも感動し、天地に抱かれて生かされていることを、この身いっぱいに感じるようになりました。また、細い道で道を譲って下さる方に思わず、「ありがとうございます」と会釈をしたり、車を運転している方の優しい気遣いに心がホッと温まることもあって、人との間の距離が縮まったように思えます。
2年前、車に依存する生活をやめたのは、ごく自然な心の動きからでしたが、それは、実は神様の促しだったのでしょう。便利さや能率から、私をちょっと引き離して、広やかな世界に導いて下さった、そんな気がしてなりません。
神様にお礼を言いながら自転車に乗り、今日もすがすがしい一日が始まります。