●信心あればこそ
「いのちのバトン」
金光教長田教会
和久光代 さん
私は、金光教の教会に生まれました。物心着いたころ、阪神淡路大震災と宗教を利用した大きな事件が起きました。それをきっかけに、私は、教会の存在や宗教に対して疑問を持つようになり、教会の娘が嫌になりました。その後も私は、金光教のことをよく知ろうともせず、就職を機に20歳で東京へ行きました。写真の仕事で自活したいと頑張る日々でしたが、現実にはうまくいかず、苦しい生活でした。
25歳の時、仕事帰りに偶然金光教の教会を見付けました。ふと、お参りしたいと思い、扉を開けました。教会の先生は、温かく迎えてくれ、いろいろなお話を聞かせてくれました。
その中で「神様はご主人、自分は奉公人」という立場に徹し、起きてきた問題は、主人である神様がすべて責任を取って下さるから、自分は奉公人としての仕事をしっかりとやっていれば何の心配もいらない。また何が起きても、それはすべて必然の出来事。まずは受け止め、神様に真剣に祈って行く中で道は開けるというお話が強く印象に残りました。
それでも、受け止め切れない問題もありましたが、起きてきたことを、まず神様に預けるようにしました。そして、「感謝と喜びで出来事を受け止めさせてもらえる私にならせて下さい」と神様に願い続けるうちに、ふと気が付くと、少しずつ写真の仕事で、生活が成り立つようになっていました。
先生の導きで、いつの間にか私は、信心って面白いんだなぁと思うようになっていました。半ば実家の教会を飛び出した形の私は、今までの思いを改め、父と母に心からお詫びをしました。そうしていく中で私の祈りが、「神様のお役に立つ人間にお育て下さい」と変化していきました。そして、教会で生まれた私自身のいのちの流れを考えるようになりました。ずっと仕事一筋に来たけれど、遥か昔から続くこのいのちのバトンを次へつなげる役割があるのではと思うようになりました。
ちょうどその頃、今の夫と出会いました。夫といる時、私は素直で穏やかになれ、私のいのちが一緒にいることを喜んでいるように感じました。そんな夫との間に、子どもを授かりました。愛する人がそばにいて、その人との間に授かった子がお腹の中で一日一日育っていく。私は生まれて初めて幸せということを知りました。
順調に育ってきた息子に変化が現れたのは生まれて3カ月のころでした。額の湿疹がなかなか治らず、それがジュクジュクとした膿に変わり、気が付くと耳が潰れ顔の形が崩れるほどまでになりました。
初めて見る息子のそんな姿に、何が起こったのか訳が分かりませんでした。そして分からないながらも、これも必然の出来事。何か意味のあることだと思い直し、これまでのように神様に心を向け、その意味を問い続けました。そういう中、夫の弟も幼いころ、そうだったことを知りました。義理の母は、孫の様子を見た時、「必ず良くなるから大丈夫」と励ましてくれました。弟の様子をそばで見ていた夫も力強い味方でした。
私には、そばで状況を理解し支えてくれる家族がいる。神様は、私が問題にきちんと向き合え、乗り越えていけるよう導いて下さっているように思え、覚悟が出来ました。私は、息子のいのちの力を信じ、生きやすいように環境を整えてあげることに力を注ぎました。そして、いつも笑顔でいるように努めました。私が母として、出来ることにしっかりと取り組めば、必ずご主人である神様が責任を取って下さるという、強い願いを持って。そうしていく中で息子の様子は日に日に良くなっていき、いつの間にか綺麗に治ることが出来たのです。
そして息子が元気になったころ、あるお仕事を頂きました。それは、大手カメラメーカーから、子育て中のママに向けたカメラの新機種が発売されることになり、母親の目線で、取扱説明書の撮影を担当して欲しいというものでした。私に子どもがいなければこのような仕事は頂けなかったし、また、息子の体が完治していなければ出来ないことでした。このタイミングでこの仕事を頂けたことに神様の思いを感じ、精いっぱいお役に立たせて頂こうと感謝の気持ちで取り組みました。
撮影が終わり、メーカー側にチェックをしてもらったところ、内容を大変気に入って下さり、取扱説明書という形ではなく、書籍化し、販売したいと話が展開していきました。それだけでなく、プロモーションビデオに出演することにもなり、さらにCM化することが決まりました。驚く展開が次々と目の前で起こりました。
人間の考えるありがたい出来事の範疇を軽々と飛び越え、神様は私に大きな働きを見せて下さいました。私自身が特に大きな動きをしたわけでもなく、こういう結果を想像していたわけでもありません。ただ起こってくる事柄を、喜びと感謝の心で受け、神様のお役に立ちたいと精いっぱい取り組んでいったことがこういう結果になっていったのです。
25歳の時、教会の扉を開けなければ、神様に出合うことはなかったと思います。そう思うと、偶然見付けたと思っていた教会も、実は、偶然ではなく神様のお導きあってのことなのかもしれません。そして、私のことをいつも心配し、祈ってくれている父や母を始め、ご先祖様の深い深い祈りが私のいのちを神様の元へとつなげてくれたように思いました。
現在息子は、3歳になります。私が神様に出合えたように、このいのちのバトン、祈りのバトンを息子につなげていきたいと思います