癇癪持ちの弥右衛門


●昔むかし
癇癪かんしゃく持ちの弥右衛門」

金光教放送センター

朗読:杉山佳寿子さん


 昔むかし、ある町に弥右衛門やえもんという呉服物の商いをする男がおりました。奇麗な着物を扱う商売なのに、弥右衛門はひどい癇癪持ちで、いつも家の者たちには怒鳴り散らします。ですから働いている奉公人が1人居りましたが、今まで1年と持ったためしがありません。次から次と辞めて行きますので、それも弥右衛門の癇癪の種です。
 弥右衛門にはおかみさんと5歳の佐吉さきちという子どもが居りました。この佐吉は体が弱く、食も進まずお腹を壊してばかりおりましたので、顔色も悪くヒョロヒョロし、またそれが弥右衛門の癇癪の種で、おかみさんに、「おまえの育て方が悪い」と八つ当たりする始末です。
 ある日、商いが上手く行かず、プリプリしながら道を歩いておりますと、幼なじみの善造ぜんぞうに出会いました。
「弥右衛門よ、その顔を見ると、また癇癪を起こしているな」
 弥右衛門が、「それの何が悪い!」と怒鳴りますと、「お前は癇癪さえ起こさなければいい奴なのになあ」と善造はしみじみと言います。
「じゃあ腹が立った時にはどうする?」
 弥右衛門が尋ねますと、善造は、
「俺の信心している神様の教えは、『腹が立った時にはすぐに怒らずに一度よく考える。これは怒らんならんものか、怒らんでもいいものか。そして本当に怒らんならん時には怒り、大して怒らんでもいい時は怒ることはいらん』まあこういうことだ」
「ふーん、なるほどなあ」と弥右衛門は思いました。

 次の日の朝です。弥右衛門は目覚めるととこの中でたばこを一服する癖があります。おかみさんがたばこ盆に火を入れて枕元へ持って来たのですが、弥右衛門はウトウトまた一寝入りしてしまいました。
 さて、目が覚めてたばこを吸おうとすると、たばこ盆の火が灰になっておりました。
「けしからん、何だこれは! 途中で消えるような火を入れおって」と、いつものように怒鳴ろうとしましたが、ふと善造の言ったことを思い出しました。
「わしが一眠りした間に火も眠ってしまったのだ。これは怒らんでも済むことだ」
と思い、おかみさんを呼んで、
「えらい済まんが、これに火を入れてくれ」と頼みますと、おかみさんは、
「それは気が付きませんで、悪うございました」と、機嫌良く火を入れ変えてくれました。
 朝ご飯を済ませて、商いに出る身支度をしている時でした。足袋を履こうとすると、その足袋がどちらも右足の方ばかりです。弥右衛門はグッとかんに障り、いつもなら足袋を投げつけて怒鳴るところを、「おっと待った、ここだ、ここだ」と思い直し、
「おい、左足の足袋を出しておくれ」と、おかみさんに言いますと、
「気が付かずに済みません。悪うございました」
 そして、表まで弥右衛門を見送りに出て来ます。弥右衛門はいつになく良い気分で出掛けました。
 商いの方も客の話を良く聞いてことを進めるようにしましたので、とんとん拍子に話が進み、弥右衛門は良い気分で帰って来ると、おかみさんと、そして佐吉も、「お帰り」と言って出迎えに出て来ます。
 それからというもの弥右衛門は、
「今まで怒らなくてもいいことを怒ったりして、何とアホらしいことをしていたのだろう」
 そして奉公人も居着くようになり、商売は繁盛しました。
 商いに夢中のあまり、すっかり子どもの佐吉の病気のことを忘れておりましたが、ある時、ふと表を見ますと、佐吉が走り回っているではありませんか。ビックリした弥右衛門は、
「おい、佐吉は最近どうしたのだ?」とおかみさんに聞きますと、
「近頃は良く食べて、お腹も壊さずに、元気になりました」
「へえー、これは不思議なことだな」と思いつつ、ある日、善造にそのことを話しますと、
「それはお前の態度が改まったからだろう。これでお前の家は、めでたしめでたしではないか」

 おしまい。

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