●信者さんのおはなし
「神様がつけてくださった道」
金光教放送センター
長崎は坂の街。大通りも裏路地も、坂道を上っては山へ続き、下っては港へつながります。ですから、地元の人は、道を尋ねられると、「そこの角を右に上がって」というふうに案内します。
この長崎市にお住まいの、高塚汎さんは、昭和21年うまれの71歳。「信心しているのだから楽しく生きなきゃね。神様が見て下さっているんだから」。こんなふうに明るく話す、とても快活な方です。
実は、高塚さんは8年ほど前に病気で大きな手術を受け、胃を切除しています。今も、治療は続いています。でも、高塚さんの立ち居振る舞いは、みじんもそんなことを感じさせません。病気のことを話す時の口振りも、まるで、昨日のお天気のことを話題にするかのようで、何の気負いもありません。
「『信心しているのに、どうしてこんな病気に…』って言う人もいるけど、私自身は信心で受け止めているんです」。こう語る高塚さんには、無理に元気に振る舞うのでもなく、妙に悟り切ったというのでもない、自然でしなやかな力強さを感じさせる何かがありました。
そんな高塚さんと金光教との出合いは、物心付く前にまでさかのぼります。祖母が、生まれたばかりの高塚さんを、毎日のように、近くの教会へ連れて行ったのです。祖母にとって、教会は心安らぐ場所だったようで、子守りがてらに通っていたと言います。
祖母は高塚さんが小学校1年生の時に亡くなりますが、その時までには、母親がお参りするようになり、続いて父親も。そして、家族そろって毎日、教会へお参りするようになっていました。
教会の先生から信心の話を聞くようになった父親が、こんなことをよく言っていました。「食べることが出来て、眠る所があって、毎日無事に過ごすことが出来る。これは神様のおかげ。こんなありがたいことはない」。この言葉は、若いころの高塚さんには、何か負け惜しみのようにしか聞こえませんでした。生活も楽ではないし、特にいいことがあったわけでもないのに、おかげなんて。そんなふうに思っていたと振り返ります。
でも、そのころの父親の思いが、今となってはよく分かります。生きているのがおかげ。だから、父親は、神様にお礼を言いたくて、毎日教会にお参りせずにはいられなかったのだと。
さて、高塚さんは大学を卒業して、長崎にある国内有数の大型機械メーカーに就職します。昭和46年のことでした。29歳の時には、抜擢されて、最先端の技術を学びにアメリカへ渡りました。それ以来、定年まで、中東や南米など海外勤務も数多く、国内でもたくさんの大きなプロジェクトに携わってきました。仕事を通して、社会に貢献してきたという自負もあります。
と言うと、順風満帆、日の当たる表街道をひた走ってきたサラリーマン人生のように思われるかもしれません。でも、実は、紆余曲折の連続だったのです。いきなり畑違いの業務を任されたり、気難しい上司に悩まされたり、言葉は良くないですが、尻拭いのような仕事を押し付けられたり、冷や飯を食わされたり。転勤や配置換えはサラリーマンの常。業務命令とあれば、仕事の選り好みなどしていられないのはどこでも同じかもしれません。
そんな中、高塚さんは、事ある度に、教会にお参りしては先生に相談し、神様に祈って、仕事に取り組んできました。自分ばかりややこしい業務を当てられる、問題のある職場に回される、そんなもやもやした思いで心がふさぎそうになった時、「何事も、神様からのお差し向けだからね」。先生のこんな言葉で、気持ちが楽になったと言います。
「お差し向け」、つまり、神様がわざわざ、この仕事を、この職場を、私に与えて下さったのだ。ならば、たとえ意に添わぬもの、やっかいなことであっても、これは、神様が私に命じておられるのだ。神様が見守って下さっているのだ。そんなふうに思いを変えることが出来たのです。
とにかく神様に心を向けて、会社のため、人のために役に立つことが出来るよう願いを込めて取り組む。すると、その嫌だと思っていた仕事が、次のステップにつながっていく。そんな経験を積み重ねてきました。
そういえば、高塚さんが中学生の時に、教会の先生から、「小さい時からずっとお参りしていたあなたのことを、神様はいつも見守っておられるよ。後でおかげにして下さるよ」と、よく言われていたそうです。今になって、その言葉の意味がよく分かります。
「20年、30年の先まで見据えて、神様が道を付けて下さっているとしか思えない」。このように高塚さんは話します。
その時には分からなかったけれども、振り向いて見渡した時に、ここまで歩んできた跡が、一筋につながって見える。それこそ、神様が先回りして、ここへ至るまでの道をあらかじめ付けて下さっていたかのように。
高塚さんは、今は奥さんと2人住まい。娘夫婦も同じ長崎市内に暮らしています。孫を4人授かったことも大きな喜びです。
かつて高塚さんが進学する時、父親が、「財産は無いが、信心だけは残してやれる。これだけは手放してはいけない」と言ってくれたそうです。そのことに感謝するとともに、今度は、自分が同じ思いで、子どもや孫たちに、大切なものを伝えていきたい、高塚さんは、今、そう願っています。