●信者さんのおはなし
「笑顔のわけ」
金光教放送センター
長崎市の鶴港教会に参拝する釜坂津代美さん79歳は、下半身にまひのあるご主人と、何をするのもどこへ行くのも一緒で、お世話の出来ることを幸せと感じている笑顔の絶えないご婦人です。
津代美さんと金光教との出合いは、子どもの時です。お父さんが小さな漁船で仕事をしていたため、安全を願って、お母さんと一緒にお参りをするようになりました。
22歳の時、友人の紹介で、鉄骨の溶接の仕事をしている1歳年下のご主人と結婚しました。2人の娘にも恵まれ、家事に、子育てにと充実した日々を送っていました。
ところが、結婚生活4年目となる昭和39年のある朝、ご主人が、「今日は残業で遅くなるから」と出掛けた日、とんでもないことが起こります。
その日の現場は、建設途中の3階建ての工場でした。ご主人は足場の上で、仕事を始めてまだ3日目の新人を待っていました。新人が、「怖くて上がれません」と言うので、ご主人は溶接の工具を持ったまま、迎えに降りようとしたところ、手が滑って3階の高さから転落し、地面にあったブロックの上にたたき付けられてしまったのです。すぐさま病院に運ばれましたが、意識不明の重体。その事故は、新聞やラジオでも報道され、津代美さんは、たまたまラジオを聞いていた人からご主人のことを知らされたのでした。
津代美さんは、すぐに病院に駆け付けました。命が危ぶまれるほどの大事故でしたが、一命を取り留めることが出来ました。その後、意識も回復しました。しかし、下半身の神経が切れていて、お医者さんからは、「今後、立つことも歩くことも出来ません」と言われたのです。
教会の先生は事故のことを知ってからずっと神様に回復を願って下さっていました。津代美さんがお参りすると、「あなたも大変だろうけど、辛抱しなさい。大きなおかげを頂くから…」と言われ、神様にお願いしながらの入院生活が始まったのです。
津代美さんの生活は一変しました。事故の労災保険が認められたものの、それだけで家族4人が生活出来るわけではありません。津代美さんは仕事を始めたのですが、仕事に行き、子育てをして、毎日病院へ通うというのは、大変なことです。
やむを得ず、仕事を辞めたいと会社に申し出たところ、状況を理解してくれた上司が、半日だけの仕事の日を作るなどの配慮をしてくれ、何とか仕事を続けることが出来ました。
そのような生活が9年続きました。ご主人は長い入院生活のため、床擦れがひどく、化膿してしまいました。
そんな時、タクシーの運転手をしている方との出会いがありました。運転手さんは、熊本に床擦れの専門病院があることを教えて下さり、車の免許を持たない津代美さんに代わって、ご主人を熊本まで連れて行き、入院させてくれました。おかげでひどかった床擦れも治り、退院する時にはちょうど、以前から申し込んであったバリアフリーの市営アパートに入居出来ることにもなりました。
長い入院生活を終え、自宅に帰れたご主人の表情はとても生き生きとしていて、津代美さんも、ようやく一緒に暮らせる喜びを感じるのでした。
結婚当初、神様に手を合わせることのなかったご主人でしたが、津代美さんが大変な生活の中でも、神様にお願いしながら明るく生きる姿を見て、いつしか神様を信じる気持ちが生まれていました。食事の前には、必ず神棚に手を合わせてくれるようになったのです。このことも津代美さんにとって、うれしいことでした。
ご主人が40歳になった時、「自分も何か役に立ちたい」と、車の免許を取ってくれました。津代美さんを、両手だけで運転出来る車に乗せて職場へ送り迎えし、帰りには教会へお参りします。教会に着くと津代美さんは、歩くことの出来ないご主人を背負い、2階にあるご神前へ向かって、階段を一段ずつ「金光様、金光様」とお願いしながら、はって上がるのです。成人男性を背負うのは大変なことですが、津代美さんは、一緒にお参り出来ることがうれしいのです。
運転だけではなく、ご主人は、「みんなと少しでも同じ生活がしたい」と、50歳を過ぎてから車椅子バドミントンを始めるようにもなりました。
一家の大黒柱であるご主人が事故に遭い、それからの生活は大変なことの連続だったと思えるのですが、津代美さんの表情からはつらい苦労を重ねてきたようには見えません。
職場での配慮を頂けたこと、親切なタクシーの運転手さんに出会えたこと、床擦れ専門病院の退院に合わせて、バリアフリーの家に入居出来たこと。そうした一つひとつに、神様から守られているという実感があるからでしょう。津代美さんは事故のことを振り返って、こう言われます。
「神様に守って頂いている中で起きたことなので、事故はこの程度で済ませて頂いたんです。大難を小難に変えてもらったんですよ。全部、神様に守って頂いている中で起きたことなんです」
神様へのお礼の気持ちを喜びで表し、お世話になった方や物に感謝しつつ、今では津代美さんもバドミントンを始め、毎日を楽しく過ごされています。事故の時に、先生から言われた「大きなおかげ」という言葉がその笑顔に現れているのでしょう。