●先生のおはなし
「ムラッチありがとう」
金光教野田教会
丹羽晃 先生
私が、中学2年生の時、夏の林間学校での話です。旅館に着いてすぐ休憩時間になりました。夕食まで3時間あり、仲の良い友達5人で、旅館の下に見える川を見て、「あの川に入って上流まで行こう」と誰かが言いました。
ワクワクドキドキが大好きな私たちは、サンダルに体操服、短パンと動きやすい服装で出掛けました。川に入ると、ひざぐらいの水の量でした。
途中、岩から岩へ飛び移ろうとして、こけてびしょぬれになる友達もいて、大笑いしながら進みました。1時間ほど、水の中を歩くと、行き止まりになり、これ以上上流には進めないと分かり、「これからどうする?」と考えていると、1人の友達が、「この崖を登って道路に出よう。そしたら、道路を歩いて旅館まで帰れるから」と言いました。
すぐにみんな、「面白そうやな」と言って挑戦することになりました。崖の高さは10メートルぐらいでした。
まず、10メートルの崖を、縦一列で登りましたが、顔に土が落ちてくるので諦め、次に横一列で登ることにしました。ロッククライミングの要領で登るのですが、もちろん、命綱はありません。誰が一番速く登れるか勝負することにしましたが、私の登った場所は凹凸がなく苦戦しました。途中、指を掛ける所がなく、草を引っ張ると、抜けて落ちそうになったり、指が岩に引っ掛からずに、20センチズリ落ちたりと大変でした。
先に登り着いたみんなが応援してくれる中、何とか、後50センチで着くという所で、ムラッチという友達が崖の上から、「俺の手につかまれ!」と言って右手を差し出してくれました。ムラッチが天使に見えた瞬間でした。
ガッチリと右手をつかみながら、「ムラッチ、僕たちは一生友達だ」。そう思った瞬間、何と、岩をつかんだ私の左手と両足が、油断からか、岩から外れたのでした。当時、50キロぐらいあった私の体は、ムラッチの右腕一本でぶら下がる形になり、下を見て、「ここから落ちたら死んでしまう」と、死の恐怖を感じ、絶望的な気持ちになりました。
すると、さっきは天使だったはずのムラッチが、な、なんと…、「痛い~、手~ちぎれる~、手~離せ~」と、天使から悪魔に変身したかのような信じられない一言を言いました。恐怖で体がすくんでいた私は、その声を聞き、「コイツだけは許さん~」という怒りの気持ちが、メラメラと燃え上がりました。
すると、偶然にも両足と左手が岩に掛かり、自力で何とか、上まで登ることができましたが、ヘトヘトで地面に大の字になって倒れ込み、立つことが出来ませんでした。その後、ムラッチへの怒りがフツフツと湧いてきて、「何が手~離せや。手を離したら死んでしまうやないか!」と怒って言うと、「何がやねん、俺が助けたったんやないか!」と言い返してきたので腹が立ち、つかみ合いのけんかになりかけました。周りの友達に止められ、引き離されましたが、私の怒りは収まりませんでした。
その後も、ずっと心の中がモヤモヤしていました。そこから学校生活でも、ムラッチとは距離が出来、中学3年で別々のクラスになり、卒業しました。卒業後、会うことはなかったのですが、心の中にずっと「友達に裏切られた最悪な思い出」として残っていました。
私は25歳で結婚をして、子どもを2人授かりました。今から10年前、長男が小学5年生の時でした。一緒にお風呂に入っている時に、ふとその話をしました。すると長男は、「ある意味、ムラッチはお父さんの命の恩人やな」と言いました。
私は一瞬、「えっ、命の恩人? どこが?」と思いましたが、冷静に考えてみると、確かにあの時ムラッチの、「手~離せ~」という一言が無ければ、私はもちろんのこと、ムラッチも共に崖から転落したかもしれないのでした。あの一言があったおかげで、私の心に、怒りの気持ちではあったのですが、大きな力が湧いたのは事実です。その結果、手と足が岩に掛かって、助かったのです。
言葉の良し悪しはともかく、あの声で助かったのですから、命の恩人には違いありません。本当は腹を立てる相手ではなく、感謝しなければいけない相手だったのです。そのことを長男から教えてもらいました。子どもの素直な言葉は、私の心にストレートに突き刺さり、ハッとさせられたのでした。
今まで腹が立って曇っていた私の心の鏡が、曇りを取ってもらったようにスッキリとして、物事がよく見えるようになりました。今となっては、中2の夏、神様がムラッチを通して、あの言葉を通して、私を助けようとしてくれたのかと思うことが出来、ムラッチと神様に感謝出来るようになりました。
そして、神様はいつまでも過去の出来事に苦しむ私を、長男の言葉を通して助けてくれたのでした。神様の働きはすぐに分かることもあれば、時間を経て初めて分かることもあります。言葉や事柄を通して、私たちに気付きを与えて下さっています。
つらいことや苦しいことに出遭うと、つい悪い面から見てしまいがちですが、その中に幸せの種が隠されているのかもしれません。
長年、勘違いしていた「友達に裏切られた最悪な思い出」から「友達に救われた最高の思い出」として、私を救ってくれた長男と神様に本当に感謝しています。そして、今、心から言いたいです。「ムラッチありがとう!」