●先生のおはなし
「幸せはどこから」
金光教徳島西教会
筒井善子 先生
おはようございます。まず私の好きな金光教の歌を聞いて下さい。
♪幸せはどこからやってくるの そうさ 幸せはよろこびの木に咲く花なのさ
だから私の心に よろこびの木を 大きく大きく 育てよう 木は育ち花は咲くよ♪
(『よろこびの木』作詞・柳田安代/作曲・馬渡三郎)
私は今、徳島少年少女合唱団の指導者として、子どもたちに心を込めて歌うことの大切さを伝えながら、金光教の教師として教会で奉仕をしています。
先ほど歌わせて頂いたのは、「よろこびの木」という私の大好きな金光教の歌です。
歌詞の中に、『幸せはよろこびの木に咲く花』、そして、『よろこびは感謝の枝に結ぶ実』とあります。この歌を歌っていると、有り難く嬉しい気持ちで満たされます。そして、私の心の中にも喜びの木を大きく育てて、幸せの花をいっぱい咲かせたい。感謝の心を大きく育てて、喜びの実をいっぱいつけたい。そんな気持ちになります。
また、歌だけではなく、金光教の言葉の中にも、私が大好きな、このような言葉があります。
「有り難い有り難いとばかり思う人には、有り難いことばかりできてきます」という言葉です。
私は、この「有り難い」という言葉のところに「うれしい」や「おいしい」など色々な言葉を当てはめます。そうやって、先ほどの歌のように、いつも喜びと感謝の心を大きく育てたいと願い続けています。
それでも日々の生活の中では思い掛けないことが起こってきます。どんなに頑張っても、努力をしても、祈っても、すぐにはどうにもならないことが起こってくる。そんな時、祖父が教えてくれた言葉が私を導いてくれます。
私が1歳2カ月の時、父は亡くなりました。金光教の教師であった祖父が父親代わりになって私を育ててくれました。祖父は大変厳しい人でしたが思いやりが深く、いつもお参りに来られた信者さんやご近所の方に金光教の教えを話し、孫の私にも幼い頃からいろんな話をしてくれました。
その中に今でも私の心に残り、支えてくれていることがあります。祖父は毎日、幼い私が保育園から帰ってくるのを玄関で待ち構えていて、「善子、鉛筆と紙を持ってこい」と言います。祖父に鉛筆と紙を渡しますと、そこに漢字で「有難う」と書き、「これは、難が有る、難しいことが有ると書いて、ありがとうと読むんじゃ。難があってありがたい。もし、善子が『困ったな~、いやじゃな~』と思うことがあった時、まず、『ありがとうございます』と言って、その後にお願いしたら良い。そうすれば、必ず神様が一番良いようにして下さるからな」と、私が小学校に上がるまで、毎日毎日、言い聞かせてくれました。
この言葉は、私の日常のあらゆる出来事の中で、困ったこと、嫌なこと全てをプラスの方向に導いてくれています。
一人っ子でちょっぴり寂しがり屋の私は、いつも歌を歌っていました。厳格な祖父母とお嫁にきた母、そして私の4人で囲む食卓はとても質素で静かでしたが、夕食が終わると、祖父がいつも、「善子、歌ってくれ」と言います。私が歌を歌うと、母も、祖父も祖母も笑顔で聞いてくれます。それがとてもうれしくて、もっと歌うことが好きになっていきました。そんな私に神様は音楽の道を歩ませて下さり、徳島少年少女合唱団の指導者として、たくさんの子どもたちと関わるようになりました。
合唱団では、小学生から高校生までの団員たちと共に国内公演だけでなく、広く海外でも演奏の機会を頂いています。団員たちとの合言葉は、合唱団スマイルです。ほほ笑み掛けて心を込めて歌い掛ける。団員たちは歌える喜びに感謝して、聞いて下さる方も幸せな気持ちになって頂きたいと練習に励んでいます。
でも時折、人間関係や進路のことなどで落ち込む団員がいます。そんな時、私は祖父の言葉を思い出し、「難があって有り難いんだよ。プレッシャーやスランプがあるから努力をすることが出来るし、もっと成長することが出来るよ。」と伝え、団員たちの心に寄り添い、共に歩んでいます。
木の葉が色付き始めた秋晴れの午後、合唱団を卒団した子からメールが入りました。「今、就職活動という形で初めての大きな挫折感を抱いていますが、先生が教えてくれた『難があって有り難い』を胸に、まだまだ全力で駆け抜けます」と、そこには書いてありました。
祖父の言葉が私を通して彼女に伝わり、心の中で喜びの木が育ち、幸せの花が咲いて、感謝の枝に実が結びますように。そして皆様の心の中にも。