●先生のおはなし
「何事もまずお礼」
金光教袋井教会
大場美子 先生
昭和46年の夏、当時64歳の父は、金光教本部での会議の帰りに金光駅で意識不明になり、入院しました。糖尿病で、お医者さんから、「血糖値は500で危篤になりますが、あなたのお父さんは870もあります。さらに8つの合併症。命があることが不思議です」と説明がありました。私はちょうど研修会で本部に滞在しており、父が入院したという知らせを受けました。
金光教では、信仰上の中心的な指導者を金光様と申します。私は当時21歳でしたが、金光様には、子どもからお年寄りまで、いつでも誰でもお会いすることが出来、親しく願いを聞いて下さり、教えて下さいます。
病院に行く前に、金光様の元にお参りしました。状況が分からないままだったので、まず私が本部で滞在中だったことを御礼申し上げました。金光様は、「金光駅で倒れたことが、すでにおかげをこうむられたのじゃ。もし乗車していたらどうなったか分からん。お礼を先に立ててなあ。何事もここからじゃ」と教えて下さいました。病状は深刻で、度重なる危篤状態に毎日参拝し、金光様にその時々の病状をお伝えし、お祈りして頂き、危ないところを越えさせて頂きました。
3度目の危篤状態の時には、金光様から、「危篤危篤と言うが、命があるんじゃから危篤と言えるんじゃろう。命が無かったら危篤とは言えんのじゃからなぁ。命があることをお礼申してなぁ」。そう諭して頂きました。お願いが先に立ち、心からのお礼が言えない私に、金光様は時に厳しく、時に優しく教えて下さいました。
そんな中、看病しているはずの私たちが、父に力付けられ、励まされることも度々ありました。声にならない声で祈りを込める父の姿に、私たち家族は共に祈り、神様に御礼申し上げました。
私たち家族は、お医者さんを通して神様の治療を受けるという思いで、何事もお医者さんにお任せすると心に決めておりましたが、ある時主治医からインスリンを投与することの承諾を求められました。当時インスリンはまだ試験中で、場合によっては脳の組織を壊し、廃人になる恐れもある、と説明を受けましたので、金光様にどうすれば良いかお尋ねしました。
金光様は、「例えば、向こう岸へ渡るには船に乗らなければならない。どんなに高い波があっても、きつい風があっても、向こう岸に渡ろうと思えば船に乗らなければならないだろうが。心配して取り越し苦労をしても、向こう岸に渡ることは出来ない。やはり向こう岸に渡ろうとすれば、船に乗らなければならない。だから船に乗った上で、波の障りがないように、風の障りがないように願わせて頂くことが大事じゃ」とおっしゃいました。それで安心してインスリンの投与をさせて頂くことが出来、次第に回復に向かいました。
金光教では、神様のことを「親神様」と呼んでいます。また、親神様をお祭りし、お礼お願いをし、お祈りをする場所を「広前」と言います。本部広前には金光様が1年365日毎日いらっしゃいます。ある時、父がふと、「本部広前に参拝は出来んじゃろうか」と言いました。昏睡状態だった父の意識が戻ってきて、本部広前や金光様のことが分かっているのがうれしくて、金光様にその旨を申し上げました。
金光様は、「そうか、意識が戻ってきたんじゃなぁ。お広前まで参って来んでも、点滴を打っているベッドの上も、世界中が広前じゃろうが」と、いつもの温かい笑顔で、「一歩、一歩なぁ」とおっしゃり、「ありがとうございます」と親神様にお礼を申し上げて下さいました。さっそく病院に戻り、父に金光様のお言葉を伝えました。
「あれだけの危篤状態、糖尿病との合併症だと、脳に障害が残ることもある」とお医者さんも仰っていましたが、父は親神様のお働きを頂き、正常であることが分かりました。金光様はそのことを、「ありがたいことじゃなぁ」と仰ってお祈りして下さり、私はその時初めて心の底からお礼を申し上げることが出来ました。
金光様は、「何事もまず『親神様のおかげを頂いている』ということを思いなさい。一日一日大切に親神様に心を向けさせて頂くんじゃ」と教えて下さいました。父の病気回復を願うばかりになっていた私自身が、実は親神様の大きなお働きの中でここにいること、お礼の足りない私に代わって金光様が親神様にお礼を申し上げて下さっていたことに気付かせて頂きました。
父は4カ月間の入院を経て、退院することが出来ました。金光様に退院のお礼を申し上げ、家族やみんなと共に、大きな喜びの中、教会に帰って来ました。教会では、信者の皆さんが教会長である父の帰りを待ちわびていて、門の内外に立って迎えて下さり、大変ありがたいことでした。
金光様は私が困らないように、迷わないように信心を教えて下さいました。「お礼を申し上げることを先に立てた信心、どんなことも喜びとする信心、全て親神様のお働きの中での出来事じゃからなぁ」と、その時その時に、大切なことをいろいろと教えて頂き、親神様にお願いし、御礼申し上げて下さいました。
この生涯忘れることの出来ないお導きを頂き、私の中にその喜びが染み込んでいき、一人でも多くの人たちと手をつなぎ、願い合い、喜び合える御用にお使い頂きたいと願っています。