よう来たなあ


●信者さんのおはなし
「よう来たなあ」

金光教放送センター


 「『ガラガラッ』っと教会の玄関の扉を開けると、いつも先生が、『おおっ、よう来たなあ』と優しい笑顔で迎えてくれました。当時中学生だった私は、テスト前、少しでも良い点が取れるようにと、時間割の書いた紙を先生に差し出したんです。そうしたら先生は、温かい笑顔で、『よっしゃ、よっしゃ。お願いしてあげる』と、受け取ってくれたんですよ」。そう話してくれたのは、名古屋の堀田ほりた教会に参拝している丹羽真弓にわまゆみさんです。
 真弓さんは、熱心な金光教の信者だったお母さんに連れられ、小学校の頃から教会にお参りしていました。が、20歳を過ぎ、就職した頃からは、教会から足が遠ざかっていました。そして、真弓さんが36歳の時、あの優しかった先代の先生が亡くなったことを聞き、葬儀に駆けつけました。
 その時、先代の息子さんが、「これから先代の先生は、御霊みたまの神様になるために50日間修行をするんだよ」というお話を聞かせてくれました。真弓さんは「修行」とは何をするのか分からないながらも、「大好きだった先生と、私も一緒に修行をしたい」と思いました。
 建築事務所にお勤めの真弓さんは、その日から50日間のつもりで、とにかく会社が終わった後、教会に参拝することにしました。始めのうちは、「優しかった先代の先生にお礼がしたい」ということと、「参拝をすると母が喜ぶから」という気持ちが強かったのですが、そのうち自然と、会社であったことや、悩んでいることなどを、教会の跡を継いだ今の先生に聞いてもらうようになっていきました。
 真弓さんには6人の兄妹がいました。大所帯で、経済的に大変だった家を支えていたお母さんが、熱心に信仰していた金光教の神様とは、どんなものなのか。その頃の真弓さんは、もっと知りたくなっていたのでした。
 真弓さんが40歳の時のことです。その頃、真弓さんのお母さんは足が不自由になり、年齢的なこともあって、古くて使い勝手の悪い家で暮らすことが大変になってきました。真弓さんは、これまで苦労してきたお母さんを新しい家に住まわせ、楽をさせてあげたいと常々思っていました。けれども、真弓さん1人で家を買うということは、宝くじにでも当たらなければできないことだと思っていました。
 しかし、この思いを知った先生から、次のような力強い教えをいただきました。「自分の力ではできない大きなお願いだからこそ、神様にすがっていこう」と後押しをしてもらい、「家を購入したい」という大きな願いを立てたのです。
 ほどなくして、とても良いマンションが見付かりました。日当たりが良く、教会も近く、お母さんは一目で気に入ったようでした。けれども、どう考えても真弓さんには大きな買い物。頭金が不動産屋さんの提示した金額に届きません。
 どうしたものかと思いながら不動産屋さんに行くと、事情を知ってのことなのか、「頭金は、今ある手持ちのお金でいいですよ」と言われ、思い掛けず契約が整いました。
 真弓さんは、驚きながらも、親を思う気持ちを神様がくんでくださったと思え、ありがたい気持ちでいっぱいになりました。そして、お母さんが、どんなに苦しい時も放さずにすがってきた神様はこういう神様だったのかと分からされたのです。
 月日は経ち、真弓さんのお母さんは亡くなり、お父さんと2人の生活が始まりました。お父さんも歳を取り、入院や手術をする中で、真弓さんは仕事をしながらお父さんのお世話をしました。しかし、お母さんに対する親孝行な思いとは裏腹に、お父さんに対してはどうしても同じ思いになれないのでした。
 そこには、自分たちが幼かった頃、お父さんがどれだけ父親らしいことをしてくれたのか、という思いがあったからです。お母さんからの愛情が深かっただけに、お父さんへの反発が増していくのでした。そんな自分が嫌で、何とか変わりたいと思いながらも変われない。教会で聞くありがたいお話が、かえってつらくなる時もありました。
 そんな思いを正直に、ありのままにぶちまけられるのが、教会のお結界という場でした。頭の中ではそんなことを思ってはいけないと思いながらも、父に対する許せないという自分の思いを、全て教会の先生は聞いてくれました。そして、そのことを咎めることもなく、優しく受け止めてくださいました。先生は、「あなたの代わりに私がお礼とお詫びをするから」と、どうにもならない気持ちを全て受け止め、祈ってくれました。
 お結界でのこのやり取りで、真弓さんは、うれしく救われた思いになりました。そして、なかなか変われない自分が申し訳なく、神様が喜んでくださるように、1つの工夫をしてみようという気持ちになったのです。
 それは、寝る前に家の御神前でお祈りする時、「今日も一日、結構な一日でした」と、最後に言うことです。それだけのことでしたが、その思いにほど遠い一日であったとしても、その言葉を唱えると、なぜか安心した気持ちになり、眠れるのでした。そして、お父さんとの関係も少しずつ良くなっていきました。
 いつでも、どんな自分でも、「よう来たなあ」と受け止めてくださる神様のいる教会は、真弓さんの心のよりどころになっています。

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