●先生のおはなし
「どうして自分だけが」

金光教金岡教会
岩本威知朗 先生
私は、中学生の時に腎臓病を患い、半年の間、学校に行けないという経験をしました。今では、大変ありがたい出来事であったと思えるのですが、当時は大変つらいものでした。
中学1年生の冬ごろ、真っ赤な尿が出るようになりました。原因ははっきりしています。私は、バスケットボール部に入っており、「レギュラーになりたい」という強い気持ちがありました。少々の熱があっても休まず厳しい練習に参加し、今では考えられないのですが、暑い中、水を飲むのも制限され、それでも一生懸命に頑張っていたのです。そうした無理がたたって、真っ赤な尿が出るようになってしまったのです。
でも、痛みがなかったので、誰にも言わずに隠していました。そうこうしていると、トイレでクラクラとして、目の前が真っ暗になったのです。いよいよ、「これはあかん!」と思いました。渋々、両親に打ち明けて病院で診てもらったところ、「腎炎が悪化している。即入院しなければいけません」とのことで、大きな病院を紹介されました。ところが、ベッドが空いておらず、自宅で絶対に安静にしていてくださいと言われたのです。
自宅が金光教の教会であった私は、神様に、「入院せず、クラブに復帰できますように」と必死にお祈りしました。また、金光教の教師である両親にも、「神様に一生懸命お願いしてな」と頼んでいました。でも結局、病院のベッドが空いて、入院することになりました。
この時私は、「神様にお願いしても叶わないんや」と、とてもつらく思いました。それに、「同じクラブの他のみんなは元気にやっているのに、どうして自分だけがこんな病気に」という気持ちになって、夜、ふとんの中で涙が出ます。さらに両親に対しては、「ご信者さんのことは一生懸命なのに、息子のことは放ったらかしや。本当に祈ってくれてんか!」と恨み節になっていました。
病院も絶対安静で、ベッドから降りることすら許されません。トイレにも行けず、尿瓶やおまるで用を足さねばなりません。恥ずかしいやら情けないやらという気持ちで一杯でした。それでも神様に、「早く治りますように!」と、藁をもつかむ気持ちで、お願いしていました。
しばらくすると、あきらめのような感じでしょうか、「もうここで耐えるより仕方がない」という思いになりました。恨むのも責めるのもしんどい、自然にしようと思えたのです。すると、肩の力が抜けたのか、だんだんと落ち着いてきて、何だか解きほぐされていったことを、今でも覚えています。
小児科病棟だったので、乳幼児から中学生くらいの子どもたちばかりでした。だんだん心が落ち着いてきた私は、おのずと周りの子たちを見る目が生まれてきました。
隣のベッドの子に、「どこが悪いん?」と聞くと、「僕ね、熱が出たらずっと下がらない病気やねん。学校にはもう何年も行ってないねん。まだまだ退院できへんらしい」と言います。他にも、「肝臓が生まれた時から悪いねん」といった子もいました。それを聞いて私は、「みんな大変なんや。僕はまだまだ元気な方や」と思いました。
夜になると、しくしく泣く声が聞こえたりします。自然と、「可哀想やなあ」という思いが生まれ、「何とか、この子らが良くなるよう、お願いしてあげなあかんな」という気持ちになっていったのです。
病院に来る母にも、自分のことではなく、「あの子は、こんな病気で入院してるんやって」というように、他の子たちのことを話していたようです。
そんなふうに入院生活を過ごしているうちに、私の体の中で不思議なことが起こってきました。ある日、排尿すると、ドロドロした血の塊が出ました。「いよいよあかんのや」と思い、恐る恐る主治医の先生に伝えると、「しばらく様子をみよう」ということになりました。
それが2、3日経つと、病院の先生も驚くほどの改善がみられ、トイレへも自分で歩いて行くことを許されました。久しぶりにトイレで用を足してみると、何と、きれいな尿が出たのです。
当たり前のことが当たり前にできる喜びを感じたあの時の感動は、今でも忘れられません。その後、退院でき、半年ほどは運動制限などはありましたが、元気で学校に通えるようになりました。
あれから30年以上経ちますが、再発もなく、毎日元気で、感謝しながら、トイレを使わせていただいています。
金光教には、「不幸せな者を見て、真に可哀想という心からわが身を忘れて人を助ける、その可哀想と思う心が神心である。その神心におかげが頂ける」という教えがあります。入院している子どもたちのことが気になって、可哀想に思えた時、私の心の殻が破れ、すっと神様がお働きくださったのだと思います。
このことを通して、これまで体を酷使している私に、神様は病を通してストップをかけられ、元気であるありがたさはもちろん、多くの方のお世話になり、祈られてきたことを気づかせてくださいました。
今、子を持つ父親となった私は、当時、私の両親は、息子が入院するほどの病気になり、どれほど心配し、辛い思いをしたことかと、思いを寄せることができます。
今でも、時々、病院の前を通ります。心の中で、「今、入院中の子どもたちが、早く元気になって退院できますように」とお祈りをします。大きな教えを頂いたのだと思っています。