●先生のおはなし
「人は皆、神様の愛しい子」
金光教加里屋教会
井上真之 先生
(ナレ)おはようございます。パーソナリティの大林誠です。
突然ですが、皆さんは、LGBTという言葉をご存じでしょうか? 最近、ニュースでよく取り上げられるようになりましたので、ご存じの方も多いかと思います。
LGBTというのは、性的少数者を指した言葉で、同性を愛する人、両方の性を愛する人、体と心の性が一致しない人たちのことです。
今日紹介するのは、ご自分が同性を好きだということに気付き、苦しんだ経験をお持ちの方です。
金光教加里屋教会、井上真之さんのお話で「人は皆、神さまの愛しい子」。お聞きください。
(本文)おはようございます。私は「金光教LGBT会」という金光教の性的マイノリティの団体の代表をしています。
私が初めて同性を好きだと自覚したのは、中学1年生の時でした。このことは人には言ってはいけないことだと思い、将来の不安が出てくるなど、悩みが深刻になっていきました。
さらに、私の場合は、仕草や口調が女の子っぽかったところもあって、からかわれたり嫌がらせを受けたりしました。それらのことを誰にも言えず、一人で抱え込んでいました。段々と人に対する恐怖心が出てきて、不登校になり、外出するのが難しくなり、生きることに絶望していました。
そのような中で、ある金光教の先生と出会い、お取次を頂くことになりました。お取次とは、金光教の先生が悩みや苦しみを抱えている方や、願い事がある方の話を一人ひとり丁寧に聴き、寄り添い、神さまの愛情や思いを伝えてくださることをいいます。
その、お取次の中で、教会の先生に、これまで人には言えなかった話を少しずつ出来るようになりました。先生は私のどんな話も温かい心で、丁寧に聴いてくれました。
苦しんできたことを話すのは簡単なことではありませんでした。例えば、学校で嫌がらせを受けたことを話す時には、その場面が突然、鮮明に思い出されて、呼吸が苦しくなることもありました。それでも、話すことができると、心の傷を一つ癒やしてもらえるのか、帰る頃には、すっきりした心になっていました。
自分が同性愛者だということを人生で初めてカミングアウトしたのも教会の先生でした。打ち明ける前は、引かれたり、拒絶されたりしないだろうかと不安でしたが、実際に話してみると、先生は、「聴かせてくださりありがたいです。一緒に取り組んでいきましょう」と言ってくださいました。
金光教の先生という、自分の正直な心を話せる人が出来たことで癒やされていき、一人で抱え込んでいたことを、先生と神様と一緒に取り組むことで、孤独を感じなくなり、安心感がでてきました。そのおかげで、私は段々と、外に出ることができ、学校に通えるようになり、社会生活が送れるようになりました。
このような経験を経て、私は金光教の先生になりました。しかし、金光教の先生で同性愛者であることを公表して生きるのはとても勇気のいることでした。
そんな中、ある80代の先生から、こんな言葉を頂きました。
「教祖様だったら受け入れていたと思いますよ。神様はあなたの味方です。LGBT当事者の方も神様のおかげを頂かれるよう、道を開いてください」。そう励ましてくれたのです。
金光教の教祖様は、悩みや願いがある方の一人ひとりの話を聴き、一人ひとりに応じてお言葉を掛けられました。例えば、ある人には「子孫繁盛、家繁盛」の大切さを説いているのですが、子どもが出来ない人に対しては、「あなたには教え子という子を授けてあるであろう」と、それぞれの方に応じて説かれています。
どんな人でも味方になってくださる神様、教祖様、そして、祈ってくださる金光教の先生の存在が勇気になり、私はゲイであることをオープンにしました。さらに、誰にも言えずに悩んでいるLGBT当事者とつながり、LGBT当事者が安心して金光教に居られるように「金光教LGBT会」を立ち上げました。そこから新たなご縁が出来たり、LGBTの知識や理解を広める働きが生まれています。
また、私の元に様々な悩みを抱えている方が来るようになりました。中には昔の私と同じように、生きることに絶望している人もいます。私は、そのような方に対して、自分がしてもらったように話を聴き、祈り、寄り添い続けました。すると、「死ななくてよかった」「先生は自分の親みたいだ」と言われた方もいます。「教え子という子を授けてあるであろう」という教祖様の言葉のように、私には私のいのちに応じたお役を神様が授けてくださっており、とてもありがたいです。
金光教では、人はみな、神様の愛しい子として、一人ひとりの話を聴き、寄り添ってくれるお取次という場があります。また、違いが尊ばれ、それぞれのいのちが輝くようにお役に立たせてくださいます。人に言えない苦しい悩みを抱えている方、一人で抱え込まずに、ぜひ金光教を訪れてみてください。
(ナレ)いかがでしたか。
「自分と違うから」「大多数と違うから」という理由で、人を批判したり、偏見を持ったりしてしまうことって、ありますよねえ。
でも、この世に全く同じ人間なんて存在しません。そんな世界でみんなが笑顔で暮らせるには何が大切か。皆さんも一度考えてみませんか?