神様も痛い


●先生のおはなし
「神様も痛い」

金光教入田にゅうた教会
瀬戸信吉せとしんきち 先生


 皆さんは、自閉症についてご存知ですか。
 「自閉」というその文字から、自分を閉じて殻にこもり、周囲の人と打ち解けられない病気のように思われている人が多いのですが、そのような障害や状態ではありません。また、子どもの頃に不適切な教育をされたために、周りの人に不信感を抱いて、心を閉ざしてしまったという障害でもありません。自閉症は、話し言葉や身振りを用いてコミュニケーションを取ることが容易にできない障害です。
 教会で奉仕する私は、3人の子どもを授かりました。長男、次男、三男とも現在社会人になり、3人とも元気に日々を過ごさせていただいています。そして、次男のあゆむは自閉症です。  
 幼い頃は、呼び掛けても、目を合わせることはほとんどありませんでした。怖いと思わないのか、高い所に行くことが多く、石垣の上を走ったり、屋根の上を走ったり、いつの間にか家から抜け出し、近くにいる時はいいのですが、どこに行ったのかわからないことが何度もあり、妻と地元をあちこち探し回ったものでした。
 ある時は、お墓で並んでいる墓石を眺めていたり、またある時は、よその家に上がり込み、こたつに入っていたこともありました。中学生の頃からは家を抜け出すことはなくなりましたが、嫌なことがあったり、失敗したりした時、自分で自分をたたくなどの自傷行為があります。
 20年ほど前のことですが、新学年度を迎え、妻と子どもたちと金光教の本部広前にお参りした時のことです。その頃の歩は、ちょっと目を離すといなくなったり、静かにしなくてはいけない場所でも、何を言っているのか分からない、いわゆる奇声を発したりしていました。その時も奇声を発していましたので、私は周りのお参りされている人たちを気にしながら、お祈りをし、子どもたちを連れ、教主金光様の前に進みました。すると、すぐに金光様が、「神様に声を聞いてもらっておるんじゃなあ」と声を掛けてくださったのです。それまでは、どこへ行っても周りを気にし、時にはその場を逃げるようなこともありましたが、その奇声を、金光様は、「神様に声を聞いてもらっておるんじゃなぁ」とおっしゃってくださったのです。私は、その時、「ああ、そうか」と救われた思いになりました。
 実はそれまで、私は子どもの気持ちをないがしろにして、自分が恥ずかしいことが中心になっていて、神様がどういう思いで私たちを思ってくださっているのかということが抜けていたことに気付かされ、一遍に解き放たれたような気持ちになりました。
 この一言がありがたく、いつまでも心に残り、今もその時の気持ちを大切にさせていただいています。
 それからは、歩をどこにでも連れて行くことができ、奇声を発していても、「神様に聞いてもらっている」と、穏やかに聞くことができました。
 それから、数々の出来事を無事に通り越し、支援学校を卒業して作業所に通うようになった歩でしたが、25歳になった5月、教会の境内地で転んでしまうという出来事がありました。
 毎日、妻と歩は運動のために夕方から30分間、速足で歩きます。その日もいつものように出掛け、10分ほど経った時、妻から、「歩が走って一人で帰ったからよろしく」と電話があり、私は、境内の入り口で待っていました。すると、自傷行為で自分の顔をたたいて、泣きながら帰って来たので、手を引いて家に入ろうと、いつものように手を伸ばしたのですが、初めてその手をはたいて、私の横を通り抜け、10メートルほど先で、頭から転んでしまったのです。
 急いで歩の元にいき、抱き起こすと、泥だらけの口から血があふれ、両手もすり傷ができていました。
 口元をよく見てみると前歯が1本ないことに気付きました。すると、自分が転んだわけでもないのに、私の胸が急に苦しくなってきました。苦しみを感じながらも、とりあえず歩を家に連れて入り、洗面所で口をすすぎ、顔を洗い、擦り傷ができた両手を洗い、血があふれてくる歯の抜けた所にティッシュを詰め、妻の帰りを待っていました。
 歩も鏡で歯が1本ないことに気付き、痛みをこらえながらも口元をしきりに気にしています。困ったことに土曜日の夕方なので、歯医者に連れていくことなど頭にも浮かびません。
 帰ってきた妻と交互に抜けた歯を探し回り、やっと見付けることができました。抜けた歯をどうしようかと話し合いながら、ふと妻がインターネットで歯医者さんを探してみると、何と車で5分ほどの一番近い歯医者さんが診察していることが分かりました。急いで電話をして歩を連れて行き、抜けた歯を差し込んでいただきました。歩も接着してもらった歯を舌で確認しながら穏やかな顔になっていきました。
 その歩の顔を見ながら気付きました。歩が転んだ時、自分がけがをしたわけでもないのに、痛いと感じたあの時、神様も私と同じように痛いと感じてくださっていたのだと思いました。そして、歩の苦痛が早くなくなるようにと、月曜までどうすることもできないと考えていた私たち夫婦を、診療時間を調べるという行動に導いてくださったのだと思えたのです。
 言葉にはならない奇声をも温かく受け止めて聞いてくださる神様が、いつでもどんな時でも寄り添ってくださっていると感じることができ、ありがたいことと改めてお礼を申し上げて日々を過ごしています。

タイトルとURLをコピーしました