●信心ライブ
「私の心が変わると…」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、滋賀県愛知川教会の教師・嶋中まさ子さんが、平成30年4月に、金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
このお話は50年ぐらい前の体験談です。嶋中さんは次のようにお話しされました。
(音源)母は、私が物心付いた頃から、自律神経を失調して、精神的に不安定な状態が長く続いており、7人姉弟の一番上の私が、9人家族の家事などを手伝わなければなりませんでした。
それまで私は、自分のことばかり考えて、母のことを理解しようとする気持ちはこれっぽっちもありませんでした。実は、私は母が精神病院に入院して以来ずっと、1年近くも見舞いにも行かず、ほったらかしにしていました。
だけど、金光様の教えに触れる中で、私は心の中に隠していたものをえぐり出されるような気分になりまして、「母親のことを願えずに、どうして自分が助かるのか。自分を見詰め直さなければ、今後も心からの助かりはない」と強く感じたのです。
そして、「これを機会に、親孝行な私にならせてください」と真剣に神様にお願いいたしました。
振り返りますと、それまでの私は、ついつい母の言動に腹を立てて、文句ばかり言っておりました。すると、気が立っている母は、「あんたは気が変や!」と言って、私の顔をピシャッとたたくのですね。私は、たたき返しはしませんでしたが、本当に腹立たしく、情けない気持ちでいっぱいでした。
でも、そんな母に対しても、父は違っておりました。父が後日、「私は家内からたたかれたことは何度もあるけれども、家内を一度もたたいたことはない。家内は子どもの世話も出来ず、ずっと悪い状態でした。人心で考えたら離縁したくなるようなところです。けれども、昭和20年の終戦の年に初めて出会って結婚式を挙げた時に、家内のお母さんから、『宣廣さん、娘をどうぞよろしく頼みます』と一生懸命にお願いされた。例え今、こういう状態になっていても、相手の親にとっては大事な娘ですね。神様から見られたら、『皆、かわいい神の氏子、内の子』だとおっしゃっておられる。そう思うたら、離縁どころではないと大事にさせてもらえた」と吐露しているのです。本当に辛抱強い父でした。
さて、その後、改心した私は、思い切って母の面会に行きました。
母は私の顔を見るなり、「まさ子ちゃん! こんな所に居たくないの。早く家に帰りたい」と言って泣き出すわけですよ。それを見て、私も思わず、「お母さん」と抱きつきたくなりました。
でも、今までそんなことをしたことがありません。どう言ったらいいのか戸惑いつつ、私はその様子を見ながら、心から母を可哀想と思いました。父に、「お母さんをすぐに退院させてあげて」と頼みました。私がいつも母とよくけんかしているのを見て、父もさぞつらかったと思います。しかし、その私が突然、「何でもするから、すぐに退院させて」と頼むものですから、きっとビックリしたことでしょう。
母はまだ十分回復はしておりませんでしたが、その後、約1年ぶりに、我が家に帰ってまいりました。
退院した時、母は49歳でした。相変わらず何もしない、で、ブツブツ言っている状態でしたが、その時の私はもう、母のそういう態度に翻弄されることはなくなり、母が理不尽なことを言いましても、反発もせずに、「ふんふん」と聞くように心掛け、気持ちよく家事をさせてもらっておりました。
そのようにして過ごすうちに、ふと気が付きましたら、いつの間にか、母がお風呂を沸かしたり、機嫌良くご飯も作ってくれるようになってまいりました。そして、長年病んでいた母の姿はすっかり、どこかに消え去っていき、当たり前の会話が出来る母になってきたのです。
本当に、どんなにうれしかったことでしょう。もうありがたくて、ありがたくて。そこまで良くなるなんて思いもしませんでした。
私は、「本気で母との間柄をおかげを頂きたい」という「私の心の改まり」を、神様がしっかりと受け止めてくださり、結果、「願い以上のおかげを下さったのだな」と感涙するような思いでした。
(ナレ)いかがでしたか。
最初はお母さんの病気を受け止められなかった嶋中さんでしたが、金光様の教えに触れるうちに、「母親のことを願えずにどうして自分が助かるのか」と、自分を見詰め直されました。
また、お父さんの、お母さんに対する思いを知って、「これを機会に、親孝行な私にならせてください」と真剣に神様にお願いしたとおっしゃいます。
そうしてお母さんに対する向き合い方が変わりました。すると、お母さんが変わっていきました。嶋中さんの信心の実践によって、お母さんも助かり、嶋中さん自身も助かっていったのです。
私たちの日常生活でも、こちらの心の持ち方が変われば、周りの状況が変わっていくということがあるように思います。皆さんもぜひ実践してみてください。