●第1回
「かんべむさしの金光教案内」
金光教放送センター
おはようございます。かんべむさしと申します。職業は作家でございまして、日本文藝家協会と、日本SF作家クラブの会員になっております。いわゆる「団塊世代」の一員で、趣味は上方落語の鑑賞と読書という、そんな私が、今朝から週1回で4週にわたって、お話をさせていただくことになりました。
どうぞよろしく、お願いいたします。
で、『かんべむさしの金光教案内』というタイトルを付けていただいておりますが、そう立派なことを言える人間ではありません。自分が経験したこと、感じたこと、思っていることを、正直に、ありのまま、お話させていただくだけでして。口幅ったい言い方になりますが、作家の社会的な責任という意味からも、そうするのが本当だと思うわけです。
そこで、早速話に入らせていただきますが、実は私、40代の半ばまで、金光教とは何の関係もない人間だったんです。生まれ育った家の宗教は仏教でしたし、お正月には近くの神社へ初詣に行ってましたし、クリスマスには子どもたちとケーキを食べるという、まったく平均的な日本人だったんですね。
ただし気質としては、自分でも嫌になるほどの心配症でして。学校を出てからは小さな広告代理店に勤めてたんですけど、常に、「この先、自分はどうなるのか」という不安に襲われてました。月給も安かったですからね。
だから、不安解決のヒントを求めて、安心・自己実現・願望達成法の本なんかはよく読んでおりました。そしてその中に、漫画家のサトウサンペイさんが書かれた、『ドタンバの神頼み』という本もあったんですが、これで私は初めて金光教を知ったんですね。
それも、ちょっとびっくりした知り方でして、書き出しの部分に、「その教会は大阪中之島の近くにあった。大きな総檜造りの建物で、2層の銅板ぶきの大屋根が、美しい勾配を見せていた」と、そう書いてある。
サトウさんが子どもの頃、お母さんに連れられてよく行っていた、金光教玉水教会という教会なんですが、さっき申しました、私が勤めてた広告代理店のすぐ近くにありましたので、建物だけは見て知ってたんです。「ああっ。あそこか!」と、それでびっくりした。
ただし、そのサラリーマン時代には、宗教のシュの字も考えてませんでしたから、別に何とも思わずに、その前を通過してた。まさかその20何年後に、自分がそこへ通うことになろうとは、思いもよらないことでした。
今考えてみれば、その時代にそこへ通い出してたら、脱サラして作家になろうかと考え出した時期にも、あんなに悩み苦しむ必要はなかっただろうなあと思います。何しろ迷って悩んで病気みたいになって、大学病院の神経科へ相談に行ったほどでしたからね。
でも、宗教にも金光教にも、まだ縁が生まれてなかったんでしょう。とにかく悩むだけ悩んで、27歳の終わりに脱サラをしました。それからまあ、こっちも必死でしたし、ちょうどその時代、1970年代の後半から80年代の初めに掛けて、出版界ではSFがブームになったりもしましたので、作家としての仕事は一応順調に進みました。
私生活面では、結婚して、子どもも出来た。もちろん、仕事面で多少の波はありましたけど、それも自分の力で乗り越えられた。そのまま進めば、「こんな結構な仕事や立場はないな」と、そう思えてたはずだったんですね。
ところが人生というものは、そう常に自分に都合良くばかり進むものではありませんね。40代になって、世間で言う「男の厄年」辺りから、公私共に、自分の力や工夫だけでは解決できない問題が起きてきました。
簡単に言いますと、仕事面では若い世代の読書離れが拡大して、出版界全体の業績が低下し出した。時代背景としては、バブル景気の崩壊があって、それもやっぱりマスコミ界全体に悪影響を及ぼしましたしね。
それから、私生活の面では、母親が年を取って、それにまつわる問題が起きてきました。父親は早くに亡くなってまして、実家には母親が1人で住んでたんです。だから私が近くに住んで、折々様子を見に行ったり、用事を頼まれたりしてたわけです。ところが、その母親が身心共に老化が目立ち出し、その世話をどうするかという問題が起きてきた。
おまけに身内にトラブルがあって、母親も心配症でしたから、それを苦にして、私が様子を見に行くたびに、延々と訴えてくる。仕事面の問題を抱えてるところへ、2年3年と母親の泣き言を聞かされ続けて、心が疲れ果てるという状態になったんですね。
そんな訳で、サトウサンペイさんの『ドタンバの神頼み』、最初読んだ時はびっくりしただけで終わってたその本を、改めて読むことにもなって、今度は、「ひょっとして、この宗教、この教会が、自分の悩みや問題を、何とかしてくれるのではないか…」と、そう思うようになったんです。
というのが、『ドタンバの神頼み』によれば、金光教は、優しくて、穏やかで、こちらの悩み事を聞いてくれて、その解決を神様に願ってくれるという、そういう宗教らしいなあと、感じられましたのでね。
ただし、最初に申しましたように、平均的な日本人でしたから、宗教に対する警戒心や疑いはやっぱり強かった。すぐさまその世界に飛び込むなんてことは、とてもできない。
そこでまず、その金光教玉水教会へ、偵察に出掛けることにしたんですが、来週は、その偵察期間が何と2年に及んだという、そのお話をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。