かんべむさしの金光教案内 第2回


第2回
「かんべむさしの金光教案内」

金光教放送センター


 おはようございます。『かんべむさしの金光教案内』、その2回目でございます。
 先週の第1回目は、40代半ばになった私が、作家としては出版界の長期不況、個人としては母親の老化と身内のトラブル、公私共の問題が続いて解決せず、心が疲れ果てたという話をさせていただきました。
 そこで、以前1度読んでいた、漫画家サトウサンペイさんの『ドタンバの神頼み』を改めて読み直し、「ひょっとして、この宗教、この教会が、自分の悩み事を解決してくれるのではないか」と、そう思うようになって、大阪の中之島の近くにある、金光教玉水たまみず教会という教会へ偵察に出掛けることにした。
 ただし、それまで宗教には何の縁もありませんでしたし、心配症で疑い深い人間でもありますから、その偵察が何と2年に及んだという、そこまでお話しさせていただきました。

 さて、それでは私が、「よし。分かった。一応納得もできたから、ひとつこの教会に通わせてもらおう」と心を決めるまでに、なぜ2年も掛かったのかですが、それには大きく分けて、2つの理由があります。
 1つは自分の性格として、その世界にまず入ってみるとか、物事を進めながら考えていくとか、そういうやり方は苦手だということで、たとえアウトラインにせよ、先に知っておかないと安心できないからなんです。まして宗教のことですから、『ドタンバの神頼み』に書いてあることが、「本当なのかな?」という疑いも、やっぱりありましたしね。
 そしてもう1つは、「ひょっとして、この宗教、この教会が」と思った、それは本気で思ったことで、もし納得ができたら、色んな相談もさせてもらおうと、そう考えてたからなんです。その意味では、私の人生の流れが、ようやく宗教が必要な時期に差し掛かっていたのだと、そう言えると思います。
 なのに、ちょっと通ってみて、「やっぱり私には向いてませんでした。さよなら~」なんてことになったら、40男の姿勢として無責任だし、先方に対して失礼に当たるとも思いました。そんな訳で、納得するまでに2年掛かったという結果になったんです。
 玉水教会は大きな教会で、誰でも自由に出入りできますので、勝手に内部、金光教では「広前ひろまえ」とか「お広前」と言ってますが、そこに入って長椅子に座って、きょろきょろと観察を始めました。また、表には金光教関係の書籍を販売している施設もありましたから、そこで本を買って読み出しもしました。もちろん、これらは頻繁にではなく、その気になった時には、ということでしたけどね。
 で、そうやって観察を続け、あれこれと本も読んでいった結果、サトウサンペイさんの『ドタンバの神頼み』に書いてあることは、全て本当のことなのだと見当が付きました。どういうことがか、と言いますと、ざっと紹介しておけば、次のようなことがです。
 まず、金光教は間口が広くて、優しい宗教だということです。ただしその奥には厳しさもあるようですけど、とりあえず入門者にとってはですね。それから、他の宗教を否定せず、共存共栄を良しとしています。
 また、教会の先生は外に勧誘に出掛けたりはせず、ひたすら教会内に座って、「どうぞ、神様の助けが必要な人をお引き寄せください」と、祈り続けておられるのみです。
 そして、寄付や献金の強制がありません。さい銭箱は置いてありますし、「お供え」という慣習もありますが、どちらも全く自由です。これは、私が通わせてもらうようになってから20年以上になりますが、その間、教会側からただの一度もお金について言われたことがありませんから、確かなことです。
 プラス、いつやめても、何も言われません。お金の面と同じく、これも全く自由です。政治に関する姿勢も、信者各人の自由です。
 そして何よりの特長は、参拝される方はどなたでもですが、私なら私が持ち込む色んな問題、仕事上の悩みとか、私生活でのもめ事とか、そういったことを一対一で聞いてもらえて、相談に乗ってもらえること。そして、その問題の解決や、願い事の成就を、教会の先生が神様にお願いしてくださるということです。
 人の願いを神様に取り次ぎ、それに関する神様の思いや教えを人に取り次ぐ。このやりとりを金光教では「取次とりつぎ」とか「お取次」と言っておりますが、そういうことをしてもらえるわけです。というより、それが金光教の根本であるわけです。もちろん、個人の秘密は固く守られます。
 とまあ、こういったことを、私は確かめさせてもらったわけで、その時どう思ったかと言いますと、失礼な言い方になりますが、「非常に都合のいい宗教だな」と、そう思いました。ずるく考えれば、何か問題がある時だけ教会へ行って、相談に乗ってもらい、解決を祈ってもらって、後は知らん顔をしてても構わないことになりますからね。
 そして実際、私はいまだに、その「都合のいい」面だけを利用させてもらってる部分が大きいという、「あんまり良い信者ではないな」と、自分でも思うレベルなんですけどね。そう思うなら改めるべきなんですが…。
 というところで、時間が来ました。来週は、先ほど申しました、金光教の優しさについて、お話をさせていただきたいと思います。ありがとうございました。

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