●信心ライブ
「ラグビー部のS君と」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、愛媛県、金光教三津浜教会の教師・高橋斉さんが、平成28年1月に金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
高橋さんは、岡山県金光町にある金光学園高等学校で、ラグビー部のコーチをされています。そのラグビー部の、ある試合での出来事です。
(音源)初めて試合に出場したS君という子がおるんですけれども、そのS君がですね、ボールを持った瞬間に、相手チームの選手からタックルを受けまして、倒れたまま動かなくなってしまいました。
顧問の先生と2人でS君を近くの病院に連れて行きました。診断の結果は、「大きな病院で精密検査を受けてください。確信は持てませんが、ひざの靭帯が切れてると思います」。
それを聞いて私は信じられない思いだったんですけれども、そばにいるS君のことを思いますと、ラグビーを始めて、これからという時にこんなことになってしまって、もし最悪、靭帯が切れておったとすれば、今後ラグビーを続けることも難しいかもしれない。せめてわずかでもつながっていてほしいなと思いました。
診察が終わりまして、S君を私が車で送ることになりました。車の中で2時間あまり、S君と色んな話をさせてもらいました。
S君がぽつりと、こういうことを言ったんですけれども、「僕って結構、けがが多いんですよね」と。「ええ? どういうことなん?」と聞きますと、「僕は1年に1回ぐらい、必ず大きなけがをするんです。何度か骨折したこともあるし、今回のけがも、そういう何かがあるからなんでしょうね」というふうに言いました。
で、私はですね、それを聞いた瞬間に、これは彼の今の思いを断ち切ってあげないといけないなというふうに思いました。
心の中で、「神様、これから彼に話をさせてもらいますよ」とお願いしまして、このように話をさせてもらいました。
「あんなあ、S君。自分がさっき言った、必ず一年に一回、けがをするというのは、自分の運命とか、何かのたたりとか、因縁のように思っとるかもしれないけれども、S君のけがの一つひとつは、全く関係ないよ。俺も現役の頃にけがに泣いた方だけど、ラグビーでけがをする時は、そのほとんどが、自分の気持ちが弱気になったり、マイナスに向かった時に起きた。それから人間は、悪いことが続いた時に、なかなか自分で受け止めきれないから、誰かや何かのせいにして、現実から目を背けたり、別々に起きた悪いことをつなげてしまうことがあるけど、その気持ちがまた、悪いことを生んでしまうことがあるよ。そうならないためにも、けがをした自分を自分で受け止めて、気持ちをしっかり持って、けがを治して、また、グランドに戻ってきてほしい」と。
この日からS君のことが心に浮かんでは、「どうか大事に至りませんように。わずかでも、靭帯がつながってますように。さらにこのけがを通して、彼の心が強くなりますように」と、願う日が続きました。
数日経って、顧問の先生に連絡を取りますと、「大きな病院で検査を受けた結果、左ひざの前十字靭帯断裂でした。彼は今は成長期なので、時期を見て、いい時に手術をしましょうと医師から言われた」とのことでありました。
それからラグビー部は冬の休みに入りまして、年が明けた今年の1月3日のことですけれども、金光学園では毎年その日にOB戦が行われます。
その試合を終えまして、ふと周りを見ますと、そこには松葉杖をついて、見学に来ているS君の姿がありました。驚きとうれしさで、「よう来たなあ」と声を掛けますと、ニコっと笑って、「ハイ」と答えました。
そのS君の曇りのない表情に、私はS君が車の中でぽつりと言った、「1年に1度、必ず大きなけがをする」という後ろ向きな心から、前を向いて一歩踏み出した、そのように思いました。
S君はこの春に手術をすることが決まりました。そこからリハビリが始まりまして、治療は長く、苦しいこともあると思いますけれども、私は私で、S君と関わりながら、S君のことを神様にお願いさせていただくこと。それが私にできる、私の務めだと思っております。
教祖様がこういう教えを残しておられます。
「若い者は、本心の柱に虫を入らせなよ」という教えでありますけれども、このみ教えは、若い人たちに対しての神様のお心配りが込められた教えですが、さらに言えば、若い者の先輩に対しての教えでもあります。
まず先輩が、日常の中で若い者の心をゆがめないように、心を配って育て導いてやらなければなりませんよ、という教えだと頂いております。
つまり、指導的立場にある私自身の心に悪い虫が入らないように、まずは、私自身の心の成長を大切にしなさいと教えておられるみ教えだと、私自身頂いております。
(ナレ)いかがでしたか。S君は、その後、がんばってけがを克服し、ラグビーを続けて、3年生の時にはキャプテンとなって、チームを引っ張る活躍をみせました。
子どもたちの心が、悪い心、ゆがんだ心にならないように、神様にお願いしながら、子どもたちに寄り添うこと。同時に、教える立場にある大人自身も、自分の心がそのような心にならないようにお願いしていく。
子どもと大人、お互いに育ち合うことの大切さを感じました。