三本の桜


●昔むかし
「三本の桜」

金光教放送センター


朗読:杉山佳寿子さん

 昔むかし、ある村に、亀吉かめきち作蔵さくぞうというお百姓が隣合わせに住み、それぞれ田んぼを耕しておりました。その2人の家の前の空き地には、40年も経つ、とても立派な桜の木が3本ありました。

 春です。桜の木は、美しい花を咲かせております。
 亀吉は桜が咲くのを、とても楽しみにしておりましたが、一方作蔵の方は、この桜の木が、もう不満の種だったのです。
 なぜかと言いますと、田んぼの稲が育ち盛りの頃には桜の葉が茂って、お日様の光を遮り、秋にはたくさんの枯れ葉が家の周りに落ちて、その掃除が大変なのです。
 もちろん亀吉の家の周りも同じようになりますが、亀吉はこの美しい桜をとても大切に思っておりますので、何の不平も感じてはいませんでした。

 満開の桜を見に、村人が三々五々と集まります。中にはむしろを敷いてお酒を飲む人さえありました。それを、苦虫をかみ潰したような顔で見ていた作蔵の目に、更に団子屋まで団子を売りに来て、何と花見のおかみさんたちは大喜びです。そうでなくても酔っ払って畑に入り込む人がおり、自分の土地で他人がにぎやかに騒ぐのを見て、すっかり頭にきた作蔵は、家の表に立っている亀吉を見付けると、
「わしらの土地でのこの騒ぎを、何とも思わんか?」
と尋ねますと、亀吉はニコニコして、
「土地なんて元々は神様のものだ、皆楽しそうで、良いではないか」
と答えます。
 作蔵はなお一層頭にきて家に戻り、見当外れにもおかみさんに八つ当たりをし、ガミガミと叱り付け、そうして揚げ句の果てに、ハタと何事かを思い付き、おかみさんに言い付けました。
「明日の朝、早くに起きて団子を作れ」
「それをどうするのですか?」
とおかみさんが聞きますと、
「桜見物の奴らに売るのだ」
おかみさんは大層驚いて、
「家で食べるお団子は作れますが、人に売るお団子なんか作れません」
と言いますと、作蔵は、
「なーに、あの団子屋より一文安く売ればいいのだ。これで一もうけしてやろう」

 さて、翌日のこと。初めは「安いから」と言って作蔵のお団子を買っていた人たちも、「あっちの団子屋の方がうまい」と言って、誰も見向きもしなくなりました。作蔵は怒って残った団子を畑にぶちまけました。
 するとカラスがカアカアと言って、それをくわえて森に帰っていきました。作蔵はカラスにまで馬鹿にされていると、一層怒り狂い、一目散に庄屋様の家に行きました。

 「そういうわけで、あの桜の木を切ってしまいたいのですがねえ」
作蔵が言いますと、庄屋様は、
「作蔵よ、桜の身にもなってみろ、春には美しく咲いて皆を喜ばせ、夏には日陰を作ってくれる。それを突然切るという。人間の都合で、自分の命が決められるのでは、桜もたまったものではないだろう」
「でも…」と作蔵が不満そうに言いますと、更に庄屋様は、
「お前と亀吉は同じ年の同じ月生まれだろう。あの桜はお前の父親と亀吉の父親が、それを祝って2人で植えた桜だ。知らなかったのか? それでも切るというのなら、お前の木は一本半となる。一本半切れるか?」
 さすがにこれには作蔵も頭を抱えてしまいました。庄屋様は、
「作蔵よ、まあせくな。時期を待て」
 作蔵は、時期を待てとはどういうことか、桜が枯れるのを待てということかなど、考え考え帰りました。

 秋になり、台風が来ました。それは恐ろしいほどの雨風で、作蔵は一睡も出来ませんでした、明くる日に外に出てみますと、一本の桜の枝が大きく折れておりました。作蔵は思わず、「おとっつぁんの桜!」と叫んでおりました。
 さて、その後です。村の人々が、桜見物のお礼だと言って、折れた枝の片付けはもとより、毎年毎年、落ち葉掃除を手伝ってくれたということです。

おしまい。

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