言葉を口にできる喜び


●教師インタビュー
「言葉を口にできる喜び」

金光教放送センター


(ナレ)皆さんは、「吃音きつおん症」という障害をご存じでしょうか。吃音とは、言葉が詰まったり、スムーズに話すことができない障害で、明確な原因や治療法もなく、およそ100人に1人の方が吃音に悩まされています。
 大阪府高槻市にある金光教高槻たかつき教会で奉仕する大宅潔おおやきよしさんは今年83歳。大宅さんも、幼い頃に吃音症で大変つらい毎日を送っていました。

(大宅)幼稚園も半分くらいしか行っていません。すぐ裏ですけども。小学校に入りました。でもやっぱり悲しいかな、当てられたり、順番で国語の時間なんか、本を読まなきゃなりません。だから、逃げ出したいような心境でしたけれども、余計緊張するわけですよ。次は自分の番だと思うとね。言葉が出てこない。
 カ行、サ行、タ行、これが言いにくいんですね、詰まるんです。はい、どういうわけかね。
 ここは、高槻市高槻町なんですよ。タチツテトでしょ。言いにくい。だから、「住所は?」と聞かれるとまた困るんですよね、これが。


(ナレ)うまく話せない不安から、人と接するのが怖くなり、学校も休みがちになりました。そんな中、ある出会いがありました。

(大宅)そういう状況の中で、4年生、5年生、6年生と持ち上がりで、持ってくださった担任の先生が北門きたかど先生なんですよ。この先生ね、6年生になった時に、私、呼ばれましてね、「来年は中学やな。大宅、このままだったら、おまえ、困るだろう?」と。「今までのおまえを見ておったらね、自分から逃げておる」と。ズバリですよ。「治すんやったら今や」と。
 で、明くる日に先生がみんなにね、「今から言うことをよく聞いてもらいたい。君たちは自由に話ができるだろう。大宅は違う。話が出来ない。来年中学になると、困ると思う。だから、ここでみんな協力してやってもらいたい。大宅と話をする時に、息を吸うて、静かにね、言葉を言えば、言葉が出てくる。それを大宅がみんなと一緒に稽古して吃音矯正をしてやりたい。よろしく頼むな」いうことを言われたんですよ。
 それが切っ掛けで、休み時間になったらね、誰か私を捕まえて、相手になってくれるんですよ。「大宅、話をしよう」と言うてね。
 私が慌てて言おうとすると、「落ち着いて」と言うてくれるんですね。ありがたい。だからだんだんこうね、楽しくなってくるんですよ。そうすると自信が湧いてくるんですね。そうすると、積極的にね、対話が出来るようになってきて、うれしかったですねえ。ですから1年くらい掛かりましたけど、ありがたいことにねえ、矯正できたんですよ。
 卒業の時に、教壇に立って、「僕はこの1年間、いいクラスに恵まれ、今こうして普通に、お礼の言葉を言えるということはありがたいと思います。本当にありがとうございました」と言うて、お礼が言えました。みんな拍手してくれましてねえ。


(ナレ)その後、不自由なく学生生活を送り、やがて成人し、就職もできました。お母様は、「いずれは金光教の教師になって人を助けるお役に立ってほしい」という思いがありましたが、大宅さんは、なかなかその気にはなれませんでした。そんな中、お父様が病気で亡くなりました。後日、お葬儀を仕えてくれたお父様の師匠の所へお礼に行くと、思わぬ言葉を掛けられました。

(大宅)「過日はありがとうございました」ってお礼申し上げたんです。そしたらね、私、名前が潔と言うんですけどね、「潔なあ、親とはありがたいなあ」とこう言われる。おまえのことはなあ、親父は一生懸命願っとったぞ」と。「教会帰ったらなあ、ご祈念帳を見てみ」とこう言われる。「ご祈念帳? はい」。
 で、帰らせてもらった時に、改めてそのご祈念帳を見たらね、父がね、日付の後に、私、ねずみ年なんです。「ねの年の氏子、御用成就御願い奉ります」ということをまず書いてある。名前は書いてないですが、私のことです。それ、ずーっとさかのぼってみたら、もう、かなり前から私のことを願ってくれてるんですね。もう、入院する際になりましたらね、字が乱れてるんですよね、それ見た時ね、「ああ、ここまで、親の心を痛めてたんやなあ」と思いましたね、申し訳ないなあと思いました。
 父は、一回もね、後を継げとかお道の教師になれとは言わなかったですから、それだけに余計ね、私はそれを思うんですね、ずーっと願い続けてくれた、はい…ありがたいなあと思います。


(ナレ)親の祈りの中での今の自分であることを自覚した大宅さん。その願いを胸に、父の跡を継ぎ、金光教教師として今日まで人助けのご用に励んでこられました。
 先日、小学校の同窓会が開かれ、卒業してから30年ぶりに担任の北門先生と再会しました。

(大宅)もう老齢ですわ、先生もね。私があいさつに行ったら、「大宅、今何してるんや」と言われて、「ああ、金光教の教師をさせていただいております」と。そしたら先生がどう言われたか言うたら、「親孝行できて良かったな」と、こういうはっきり言われたです。「ありがとうございます」と言うてね。うれしかったですねえ。
 だから、あの先生に出会わなかったら、今の自分はないなあと、いつも思うんです。
 その陰にね、両親の祈り願い。だから、私はつらかったけれども、そのことを通して、人と人との触れ合いの大切さ、人に対する思いやりね。私に対して、色々と思いを掛けてくださった人たちに、やっぱり思いをね、思います時に、ありがたいなあと思いますしね、人それぞれ違いますけれども、みんな色んな問題を抱えておりますねえ。本人さんが一番つらいんです。だから、本人さんの気持ちになって、あの周りの方がね、優しく寄り添ってあげて、それと、祈り、これがやっぱり大きな働きになると思いますねえ。


(ナレ)大宅さんは、どこでお会いしても、いつもニコニコ笑顔で接してくださいます。誰に対しても丁寧な言葉遣いをされます。それは、言葉を口にできる喜びを、誰よりも知っているからこそのお姿なのだと感じるのです。

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