原因不明


●教師インタビュー
「原因不明」

金光教放送センター


(ナレ)今日は、原因不明の熱で、2年もの間、ほぼ寝たきりになった状態から、信心によって助けられたある青年の体験を紹介します。
 福岡県、大隈おおくま教会の石井俊介いしいしゅんすけさん、36歳です。
 金光教の教会に生まれた石井さんは、高校を卒業後、リハビリの仕事をするため、専門学校に通っていました。
 卒業を控えた21歳の時です。病院での実習で忙しくしていたある日、突然高熱が出ました。

(石井)疲れているのかなと思いながら行ってたんですけども、いつまで経っても熱が下がらない。下がりませんから段々きつくなってくる。色々検査していただいて、けども何が原因か分からんと。まあお薬を出しとくんで、これが駄目なら次はこれというような感じでやっていきましょうということで。ずっと熱は下がらずにですね、それでも実習はずっと続けて病院の方に行っておりました。

(ナレ)無理を押して実習に通っていましたが、とうとう起き上がれなくなりました。

(石井)その状態がずっと続いたまま実習をしておりますからですね、体もぼろぼろ。そんな状態で無理に一生懸命やっておりましたんで、心も折れてしまうような形でですね。
 それからもうこのまま実習を続けるのは難しいなということで、教会の方に戻るようなことになりました。
 それからもずっと熱は続いておりまして、結局2年弱ぐらいですね、ほぼほぼ自分の部屋から出られないような状態が続いておりまして…。

(ナレ)心も体もぼろぼろになり、専門学校を辞め、実家である教会に帰った石井さん。教会に帰ったものの、高熱は続きます。しかも、「原因不明」と言われるほど怖いものはありません。そうした不安感と、ほとんど寝たきりで、動きたくても動けない悔しさで心がいっぱいになり、とてもつらい生活を送っていました。
 そのつらさは、家族にもなかなか分かってもらえないもので、そのことが石井さんの心を一層苦しめるのでした。

(石井)色々母がですね、「ああしてみては」「こうしてみては」と私に言うんですけれども、いや、できてたら、とうにしてると。それができないから悔しいしつらいし、でもそれはなかなか元気な人には分かってもらえない。親子であってもなかなか分かってもらえないということで、本当に家族も色々心配もしただろうし、つらい思いをしておっただろうと思うんですけれどもですね、私も理解してもらえないということで、お互いにですね、つらい思いをしてたと思います。

(ナレ)そんな、お互いがつらい思いを続ける中でのある日のこと。お父さんから、「お広前ひろまえの掃除をしないか」と誘われました。
 お広前というのは、神様をお祭りしている場所で、お参りに来た人がお祈りをしたり、先生から話を聞く場所のことです。

(石井)本当に体力も何もなくてですね、できるだろうかなあと思いながら、お掃除をさせていただいたわけですけれども。
 普段は疲れてしまうようなもんですけれども、その時は不思議と体が軽くなるようなですね、むしろ元気になるような。心も、同じように明るくなるというか、浮いてくるというか、軽くなる、そういうような気持ちにならせていただきまして。本当に今振り返ると不思議な体験で、ありがたいなと思わせていただきますね。
 お掃除させてもらうお広前を見せていただきましたら、本当に光って見えるというか。
 その時に思わせてもらったのが、「私の力でさせてもらってるんじゃない。神様にさせていただいておるから、私は今、お掃除ができてるんだなぁ」と。「神様がここにあるなあ」と感じさせてもらいました。

(ナレ)「自分には何もできない」と思っていただけに、お広前の掃除ができたことで、石井さんは、確かに神様がおられること、神様のありがたさを体感しました。
 その後、「もっと神様のことを知りたい」と思うようになり、体調の良い日には、金光教の本を読むようになりました。
 ある日、石井さんは、こんな話を読みました。
 「ある人が金光教の教祖様の元にお参りした時、『あなたがお亡くなりになったら、これから私たちはどうすればいいのでしょうか』とお伺いすると、教祖様は、『心配することはない。形を隠すだけである。体がなくなれば、願う所に行って人々を助けてやる』とおっしゃった」という教えに出合いました。

(石井)それを読ませていただいた瞬間ですね、「ああ、助かった」と思わせていただいて、本当に涙が出るような思いをしました。
 神様がここにおられる、ということが分かった。そして、み教えを見せていただく中で、人が立ちゆく、人が助かっていく、そのことがずっと書かれておりましたから。神様と一緒になって、教祖様も、お願いすれば行ってやると。これほど心強いと思ったことはないですね、本当に。

(ナレ)2年という長い時間苦しんだだけに、「願う所に行って助けてやる」という言葉がとても強く心に響き、「自分も助けてもらえるんだ」と大きな勇気をもらった石井さん。それから少しずつ体調が良くなり、3カ月が経つ頃には、普段の生活ができるまでになりました。
 その後、石井さんは、自分のように苦しんだ人に助かってもらいたいと、金光教の教師になりました。
 そして、自分の体験を通して、こんなことが分かったと言います。

(石井)そのつらかったことがあるから、そのつらいことをもって、同じように苦しんでる方のつらさを一緒に分かる。そのことを神様に願うことができるんじゃないかな、そのつらさが人を願うことに繋がるんじゃないかな、というふうに、今は思わせてもらってます。
 それは、あの経験がなければ今も分かってはいなかったなというのは思います。

(ナレ)最後に、「今、目の前に、同じようなつらさを持つ人がいたら、どんな言葉を掛けますか?」と尋ねると、「あなたのそのつらい思いは、神様が全部聞いてくれますよ。だから大丈夫ですよと伝えたい」と答えてくれました。
 そこには、「神様のおかげで乗り越えられた」という石井さんの実感がこもっていました。

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