私が未熟児で生まれたわけ


●信心ライブ
「私が未熟児で生まれたわけ」

金光教放送センター


(ナレ)おはようございます。
 今日は、金光教鶴町つるまち教会の藤坂金生ふじさかかねおさんが、平成31年3月、京都で開催された集会で、お話しされたものをお聞きいただきます。
 藤坂さんは、42年前、1450グラムという未熟児で生まれ、3カ月の間、保育器で育てられました。わが子を抱くことも、お乳をやることもできない。どれほど両親はつらい思いをしたことだろうと藤坂さんは振り返ります。

(音源)当時24歳の母、まだ当時父は25~26歳、それぐらいです。何で信心してるのに、何で神様にお願いしてるのに、こんなことが起きたんやろうなって、そんな気持ちにならんかったんかなあって。両親には聞いたことはないんですけど、私は思いました。どんな思いやったやろうなって。一生懸命信心してますし、神様にもお願いしているはずやのに、「何でこんなことが起きたんやろうな」って疑わんかったかなあって思ったんですけど。
 その私が生まれてから1年半後、私が1歳半の時にですね、今度は母親がくも膜下出血で倒れました。脳の血管が破裂しまして倒れてしまうんです。どうも助かるかどうか分からん。そんな病気です。大病であります。
 その時に父親は…あっ、その時ね、お腹に次の、私の妹がお腹におりました。そういう中、お医者さんに、「どっちを選びますか?」って聞かれるんであります。「子どもか、母親の命か、どちらか一つしか助けることができません」と言われたそうです。
 父は、ご本部…当時は4代金光様でありました。すぐに飛んでいき、お取次を頂いたそうであります。「そういう中でも、25年間、そのことにお礼を申しましょう」ということを言われたそうです。「何がお礼やねん」って、父は思ったそうです。「助けてくれ。どうしたらいいって言ってるのに、何がお礼や」って思ったんですけど、ぐっとその言葉をのみ込んで、「ああ、あいつを助けなあかん」と思ったそうです。妻をね、母親を。「あいつは今までの人生24年か25年か生きてきたけど、本当にその人生にお礼を申せたんかなあ。人間死ぬ時に自分の命にお礼を申して、本当にそういう心で亡くなっていく。そんなことでないといかんなあ。あいつはまだそれが出来てない。まだ生きなあかん」と思ったそうです。
 そしてもう一つ、母親を選んだ理由は、私だったそうです。私に母親がおらん、そんな子どもにしたら可哀想や、あかんと父は思ったそうです。そして、お腹の赤ちゃんを諦めるという選択をしました。
 このくも膜下出血の時に、いろんなことが分かるんです。でも、父親はどんな気持ちやったんやろなって思うんですよ。私が未熟児でね、神様にお願いしてても、そんな大変な苦難、試練が待ってた。そして今度は妻がくも膜下出血で倒れる。ましてやお腹に子どもがおる時である。「神も仏も無いんかなあって。親父はそんなこと思わんかったんかなあ」って、そんなふうに思ったんであります。それでも手術を決めましたので、お医者さんといろんな話を進めていくんですね。お医者さんに、「奥さんはどんな方でしたか」と、いろんな話を聞くんです。私の母の病気は、生まれながらに脳の血管に奇形がある。生まれた時から、ずっと時限爆弾を脳に抱えているような、そんな状態で生まれてきてたんですって。ちょっと特別な病気やったそうです、くも膜下出血の中でも。その中で育ってきたんです。
 「妻は、運動とか、ようしてたんです」
 「えっ、これは、走ったり激しい運動をして息が上がる、心臓がバクバクする、それだけでも破裂する可能性あるんですよ」
 「あっ、そうなんですか。妻は学生時代剣道してたんです」
 「剣道ですか!」
 あれ、「めーん」いうて頭を打ちますやんか。「そんなことしてて破裂しなかったんですか」とお医者さんが驚いたんです。そして、「ああ、剣道もそうなんですけど、こいつ出産もしてますけど。長男を出産してますけど」って言うたら、「考えられません。この病気を持ちながら出産をする。出産の時に、いきんでバーンって破裂します。そうなったら、お母さんもお腹の子どももどうなってたか分かりません。これは奇跡ですよ」。そんな事を話してくれたそうであります。
 その時に父親が、「ああ…私がね…1450グラム。片手に乗るぐらいの小さな赤ちゃんとして生まれてきた理由があったんや。神様が守ってくださってたんや」って、そのことに気付いたそうであります。「お医者さんが教えてくれた」と、そう言っておりました。普通の…私が3000ぐらいの大きな赤ちゃんとして生まれてきていたら、その時に破裂してたかもしれません。1450という小さいままやから、スルッと生まれたんかもしれんなあって。当時、「何でこんなわが子が、泣くことも出来ん箱に入らなあかんのや」と思ったかも知らんけど、そこにも最善の、最高のお祈りを頂いて守られての自分たちやったんだということを、父は教えてもろうたそうであります。

 (ナレ)いかがでしたか。
 藤坂さんは、神様にお願いしても願いがなかなかかなわない時、このことを思い出し、きっと神様がお守りくださっているから大丈夫だと思い返すそうです。
 ラジオをお聞きの皆さんも、つらいことや苦しいことが起きた時、神も仏もあるもんかと思うような時、このお話を思い出していただければと思います。

タイトルとURLをコピーしました