もう一度生まれる


●信者さんのおはなし
「もう一度生まれる」

金光教放送センター


(ナレ)鹿児島県出水市。昭和38年の冬、一人の女の赤ちゃんが生まれました。その母親は、高血圧が原因で大量に出血します。助産師が適切な処置を施し、ようやく出血が治まったものの、体はとても熱く、すぐに冷やさねば命が危ない状態でした。たまたまその日は、南国・鹿児島も雪が降る寒さでした。助産師は、積もっていた雪で体を冷やし、母親の命も無事に救うことができました。その助産師は金光教の信者で、生涯に2千人もの赤ちゃんを取り上げることになるのですが、自分の人生を振り返り、この時のことを鮮明に思い出します。うれし涙を流し、神様に心からお礼を申し上げたあの雪の日のことを。
 今日お届けするお話は、その日に生まれた女性、阿部智子あべともこさんのお話です。阿部さんは現在56歳、金光教出水いずみ教会にお参りされています。金光教とのご縁は今から約15年前、40歳の時なのですが、更に時間を巻き戻してみましょう。
 阿部さんは30歳で結婚しました。しかし、結婚までの付き合いが短かったこともあり気付かなかったのですが、夫は酒飲みで、ギャンブル好きで、借金も抱え、すぐに怒りをあらわにする人でした。
 子どもにはすぐに恵まれたものの、いつしか自分の居場所が見付からないまま、体の具合が少しずつおかしくなっていきました。

(阿部)自分で言うのもなんですけど、明るさが取りえだった自分が、だんだんだんだん笑顔が無くなっていく。元々あまり太る体質ではなく、どちらかといえば痩せ型だったんですけど、更に痩せていく。だんだんだんだん痩せていく、笑顔が無くなっていく。それは実感していました。それで私は、何のために働いているんだろうかと思うようになり、夢も希望もない状態でした。ただ、子どもは可愛い、子どもの成長だけが楽しみ、それはあるんですけど、自分自身をどんどんと見失っていく感じがしてました。

(ナレ)阿部さんの体調はますます悪化、自律神経失調症となり、会社を辞めるどころか、家のことも思うようにできなくなってしまいました。それでも、夫の態度は変わらず、ついに子どもが小学校に上がるタイミングで夫と別れ、実家のある出水市に戻ることを決めました。体調を崩してから10年近くが経っていました。
 実家に戻っても体調が優れない中、その様子を耳にしたある人が声を掛けてくれました。「金光教の教会に行ってみない?」。それは、あの雪の日、阿部さんを取り上げてくれた助産師さんでした。
 あまり気が進まなかったものの、助産師さんの顔を立てるために、一度だけのつもりで教会の門をくぐりました。当時の出水教会長、嶋田邦雄しまだくにお先生が迎えてくれました。

(阿部)一心に対応してくださったんです。そこにすごく心を引かれて、私のことを何かもう…時間にしたらかなりの時間だったかもしれません。話をすると、本当にもう数時間で私のことを全て分かってくださったような対応でした。先生の表情とか言葉とか、何かすごくありがたいという思いだったんです。

(ナレ)自分をこの世に取り上げてくださった助産師さんが、40年経って、また私を取り上げてくださった。阿部さんは、まさにもう一度この世に生まれたような気持ちになりました。
 この先生にすがるしかないと感じた阿部さんは、その日から毎日教会に通い出しました。子どもが学校にいる間はずっと自分の話を聞いてもらったり、先生から話を聞かせてもらったり、そんな毎日が始まりました。

(阿部)とにかく先生はいろんな教えの話をしてくださるんですけど、もう全部何かありがたくて、体の細胞や血液に先生の言葉が全部入っていくような感じがしました。先生が、いつも「良くなるから、大丈夫だから」と言ってくださいましたが、その時の自分の体調にその言葉はすごくありがたかったんです。教えにある難しい言葉とかではありませんでした。よく言ってくださっていたのは、「末広がりのおかげを受けられる」という言葉で、これは頭に残っています。

(ナレ)それから阿部さんは、薄紙を剥がすように少しずつ体調が元に戻り、3年ほど経つ頃には仕事ができるくらいに回復していきました。
 そんな阿部さんに、自身の支えになっている教えを聞いてみました。

(阿部)「一生死なない父母に巡り会ったと思って、何事でも無理と思わないで天地金乃神にすがればよい」。この教えが好きで、自分の心の支えにさせてもらっている感じです。あと1つは、この大きいお言葉ですけど、「天に任せよ地にすがれよ」。これは結構私は、先生からも言われるのですが、取越苦労というかすごく考え込むんです。自分で難儀を作るではありませんけど、そこまで考えなくてもというところがあるんです。それなので、ちょっと心を大きく持たせてもらう意味で、これから「天に任せよ地にすがれよ」というこのみ教えを支えにして取り組んでいきたいと思っているところです。

(ナレ)一人の助産師が導いたご縁、そこで一人の金光教の先生と出会ったご縁。それが阿部さんの生きる道を変えました。
 今でも一人息子のことを始め、いろいろと悩みはあるという阿部さんですが、大きく広い天地に身を任せ、末広がりのおかげを受けていく、その願いさえあれば大丈夫、彼女の柔かな表情がそう告げていました。

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