●信心ライブ
「温かい手」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、岐阜県・金光教南大垣教会の今西信子さんが、平成28年9月、墨染教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
(音源)小学校4年生の頃だったと思いますが、おじいちゃんが、「信子、喫茶店へ行くか」と言うんですね。喫茶店なんて行ったことなかったので、それはそれはうれしくて、もちろん行きました。すてきな喫茶店におじいちゃんが連れて行ってくれて、ウェートレスさんに、クリームソーダを頼んでくれたんですね。
ウェートレスさんが運んできてくれたクリームソーダは、グラスのすれすれまで奇麗なグリーンのソーダが入っていて、その上には大きなバニラアイスが乗っているんですね。それで、柄の長いスプーンとストローが付いてくるのですけど、何せ生まれて初めてのクリームソーダなので、どこから飲めばいいのか、どうやって食べればいいのか分からないんです。私が戸惑っていると、おじいちゃんがスプーンを取ってアイスをソーダの中にグググッと入れたんです。その途端ソーダがブワッとあふれて、テーブルがソーダだらけになったんです。
私もおじいちゃんもびっくり大慌てでした。そしたらおじいちゃんがテーブルに口を付けてズズッとソーダを吸うんです。吸いながらそのおしゃれな喫茶店のすてきなウェートレスさんに向かって、「ねえちゃん、ねえちゃん! 台拭き、台拭き!」と大きな声で叫んでですね、何人かウェートレスさんが来てくださって、私もちょっと恥ずかしい思いをしながらも何とかテーブルが落ち着いたようなことでした。
そんなハプニングだらけのおじいちゃんとのお出掛けでしたが、私にとっては本当に楽しい、いい思い出です。
おじいちゃんから教えてもらったことも、数え切れないほどありました。
私が中学生の時のことです。その日は学校の定期テストで午前中には家に帰っていました。「もうちょっと休憩してから勉強しよう」と自分に言い訳をして、「徹子の部屋」を見ることにしました。すると、その中で女優さんが、「仏教では輪廻と言って、命あるものは皆死んだ後、また生まれ変わることができるでしょ。だから、私はゴキブリを退治する時、『人間になれ! 人間になれ!』と言いながらハエたたきでやっつけてるんです」という話をされました。
私は、金光教の教会に生まれて、親戚も皆金光教なので、他の宗教の教えとか考え方を全く知らなかったんです。私は、大急ぎでおじいちゃんが座っているお結界に行って、「おじいちゃん、輪廻って知ってる? 仏教やったらな、死んだ後、生まれ変わってまた生まれてこれるんやって! 金光教やったら、もう生まれてこれへんのやろ? それやったら私、仏教がいい。私、死んだらまた何かになって生まれてきたい!」と言いました。
すると、おじいちゃんは、ちょっと考えて、「どうやろなあ。おじいちゃんもまだ死んだことがないさかい、死んだ後のことは知らんのや。そや、おじいちゃんが死んだら、信子のところへ行って教えてやるわな」って言ったんですね。
私が金光教の教師にならせていただいてからは、信心の分からないところを叱られながらも何度も何度もおじいちゃんに教えてもらい、私の中ではおじいちゃんが身近な「金光様」でした。ですから、おじいちゃんが亡くなった時のショックはとても大きく、師匠を失ってしまった喪失感で、お葬儀の後、おじいちゃんの柩が教会から出ていく時は、悲しみで立っていられないほどでした。今にも崩れそうな私を見かねてか、誰かが私の肩を後ろから支えてくださっていました。その手はとても温かくて、おじいちゃんを乗せた車が出発するまで、その温かい手は、私の心までも支えてくれていました。
おじいちゃんを乗せた車が出発した後、私は、その温かい手の主にお礼を言おうと後ろを振り返って、思わず息をのみました。すぐ後ろはブロック塀で、人が入れるような隙間は全くなかったのです。
その瞬間、私にはすぐ「あの手は、おじいちゃんだ!」と分かりました。そして、あの日の約束を思い出したのです。「信子、おじいちゃんは今までどおり、いつでもこうやっておまえのことを支えてやれるんやで」。おじいちゃんは私に、そう伝えに来てくれたのです。
今の私は、「死んだらどうなるの?」と質問していた中学生の頃の私に、「人は亡くなってからも御霊神様となって、ずっと後の者を温かく見守り支え続けることができるんだよ」と、自信をもって伝えることができます。人が死んだ後、御霊の神様として働き続けるには、後の者が亡くなった方のことを忘れることなく願い続けているからこそ、御霊神様として働き続けることができるのです。
また、その方のことを忘れないだけでなく、教えていただいたことが今の自分の生活の中でどう働き、どう現せているのかも大切なところだと思っています。
(ナレ)いかがでしたか?
信子さんのおじいさんの松岡道太郎先生は、墨染教会の初代教会長で、生活の全てを神様にお任せし、長年にわたって多くの人を救い導いた先生です。信子さんもおじいさんが大好きで、子どもの頃からおじいさんのそばにいることが多かったそうです。
金光教では、「生きても死んでも神様のお世話になる」と言われています。亡くなった後、肉体は土にかえりますが、その思いはなお深く、御霊となっても神様のお世話になりながら、大切な方へ思いを注いでいくのですね。
きっと、あなたもその目に見えぬ温かい手で支えられているのに違いありません。