●信心ライブ
「あなたになら話せる」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、岡山県浅口市にお住まいの佐藤元子さんが、平成29年1月に金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
(音源)それは私の離婚という失敗から始まっています。
遡る事今から17年前、33歳で二人の子供を連れて戻ってまいりました。当時長男が6歳で、次男は3歳でした。私の心はボロボロでした。何かに必死なのに全く力が出ない、無気力なんです。もう本当に力が出ませんでした。今こうしておりますけれども、外を顔をあげて歩くことが出来ず、うつむいてばかりいました。そんな私に当時金光学園幼稚園の園長先生が、もう一度幼稚園で働きませんか、あなたにはこの仕事があっていると思うし、何より2人の子供を育てていかなければならないよ。と、幼稚園教諭として復帰することを勧めて下さいました。とっても有難いお話なのに私はそのお話をお断りしました。なぜなら当時の私は、自己肯定感が0パーセントだったんです。自己肯定感というのは、私は私でいいんだという思いの事です。理由はともかく、妻として失格、大人の都合で我が子を父親のいない子供にしてしまっているので、親としても失格、娘として両親を悲しませているのでダメ。つまり私は人間失格だとこう思っていました。だからそんな私には園児や保護者の皆さんから先生と呼ばれる資格はないと思っていました。何より先生として人前に出るのがとても怖かったんです。
ある日のことです。うちの前で子供二人が遊ぶのをぼんやりと眺めていました。近所の同年代のお子さんも一緒でした。そこにある方が通りかかられたんです。イニシャルでいうとT先生です。私は軽く会釈をするふりをしてうつ向きました。
するとT先生は明るいお声でこうおっしゃいました。「お、ええなあ、ここは子育てストリートになっておる。子供がようけいおることはいいことじゃなあ」。「えっ」と思いました。出戻って申し訳ない、情けないとマイナスの言葉や思いで一杯だった私に、T先生はプラスの言葉を下さいました。私の自己肯定感は少し上向きになりました。一度は幼稚園の仕事をお断りした私でしたが、やはり生活のためには仕事をしなければならないということで、次の年に金光学園幼稚園に再就職することができました。そこからもう必死です。先輩の先生についていくのに必死。歴史ある園のレベルを落としては申し訳ないと、とにかく一生懸命でした。
担任したお母さんの中にAさんという方がおられました。ある日「先生聞いてください」。家庭の愚痴を話し始めたんです。うなずきながらひたすら聞かせて頂きました。その時にAさんが言って下さった言葉も私を上向きにしてくれました。「他の先生には話せないけど元子先生になら話せる」。私はとても驚きました。「ママ友に聞いてもらったりしないの?」と聞くと、「よそは皆、幸せ一杯の家庭に見える、だからママ友には話せない」と言われました。私が存在している意味をAさんによって教えて頂いた瞬間でした。辛い思いをしているお母さんのために私のような先生がいてもいいのかもしれない。自己肯定感はまた少し上向きました。
再就職して3年目に園のある先生に、この先生はとても長くお勤めされている先生です。このK先生からある日こういわれました。「元子先生はいつも笑顔じゃなあ」実は私は、こういわれるまでいつも笑顔になれていたことに気づいていませんでした。K先生が無意識のうちに笑顔になれていた自分に気づかせて下さいました。褒められると、より一層笑顔になれます。自己肯定感はさらにアップし、物事がどんどん良い方向へ向かっていきました。
ここには子供がいっぱいいてええなあと言われたこと、先生にしか話せないと言われたこと、いつも笑顔じゃなあと言われたこと、今私がここにいるのはこの3つの言葉があったからだと断言できます。余談ですが出戻り娘を抱え、心痛めている母にある方がこう泣きながら話されました。あなたになら話せる。私は先生にしか話せないと言われましたが、母もまたあなたになら話せると、私と同じようなことを言われているんです。きっとその方はそれまでずっと苦しいことを誰にも話せずにいたんだと思います。辛かったことだと思います。離婚はマイナスの経験ですが、辛い気持ちを持っている方たちの救いになれたことはプラスの経験です。離婚したことにも意味があるんだと実感しました。人生において無駄なことはないのではないかと思いました。もちろんこれは私一人の力で思えたのではなく、ここに神様のお働きがあったことは間違いないと思います。
(ナレ)いかがでしたか。
生きていると、いろいろな経験をします。しかし、神様は心を傷めている人ほど可愛いのです。どうぞ助かってくれよと願ってくださいます。だからこそ、人を差し向けてくださるのです。そして、マイナスと思っていた経験が人のお役に立てたなら、その人だけでなく、自分も助かり、神様も喜んでくださいます。
私たちは色んな経験をしますが、その辛さに負けずに人の痛みがわかるような味のある人間になりたいものですね。