●もう一度聞きたいあの話
「ひとことのあいさつから」
金光教今市教会
森山恵美子 先生
佐藤フクさんは、78歳になる女性です。佐藤さんとは病院の一室で知り合いました。私の親戚のおばあさんが入院している4人部屋の病室に新しく入って来られたのです。
佐藤さんとは、初め何の会話もありませんでした。入院してきた日から、あいさつをしても返事がなく、毎日彼女の家族が食事の介助にやって来ても、何の会話もないまま淡々と食事をし、洗濯物の交換をして帰っていきました。けれども、ある時それは、佐藤さんが話せないのではなく、彼女自身が心を閉じて話さないのだということが分かりました。
病院では、どんな人にも「どうですかー?」「今からお風呂へ行きますよー」と明るく声を掛けます。それに対して言葉が不自由だったり、呼び掛けが分からない人でも、気持ちのいい時はいい顔をし、不快な時には力ずくで意思を表現されます。
しかし、佐藤さんは、いつも軽く首を動かすだけで、ほとんど自分の意思を表に出すことはありませんでした。その姿は、自分以外の者との関わりを断ち切っているように見えました。
私は、やり切れないものを感じると同時に、佐藤さんの声を何とか聞きたいと、あいさつを続けました。「たまたま病室が一緒になった患者の家族」である私に、何が出来るわけでもありません。ただ、少しでも心を開いてほしいと願いながら、病室を訪れた時と帰る時は、他の患者さんにもしているように、ベッドのそばまで行って、「こんにちは。お邪魔しますね」、「おやすみなさい。また明日ね」と声を掛け続けました。
10日ほど経ったある日のことです。いつものようにおばあさんの介護を終え、「じゃあ、また明日ね」と声を掛け、帰ろうとしたその時、「あなた、お願いがあります」という声がしました。驚いて振り向くと、佐藤さんが手を伸ばして呼んでいます。私は、すぐに彼女のそばへ行き、「何? 何ですか」と尋ねました。すると、驚くほどはっきりとした声で、「ベッドの柵を外して、私を落としてください」と言うのです。そして、「あなたを見込んでのお願いです。私はもう神様のところへ行こうと思います。私など、寝た切りで、自分のことも、ましてや人様のことなど何もできない、生きていてもしようがない者です。神様も喜んで引き取ってくれるはず。最後に父や母のお墓へあいさつをして、神様のところへ行きます。落としてくれさえすれば、はってでも行くから、どうかお願いします」と、すがるように佐藤さんは言いました。初めての会話としては、あまりに重いその内容に、返す言葉が見付かりませんでした。その時の彼女の目には、生半可な言葉では納得しない気迫のようなものがありました。
私は、意を決して、ひと言ひと言かみ締めながら佐藤さんに言いました。「そんなふうに思うなんて、よっぽどつらいことがあったんでしょうね。でもね、佐藤さん、私にも事情があります。佐藤さんは神様のところに行きたいと言うけれど、私も神様を信仰しているんです。余程の思いで私に話してくださったんでしょう。しかし、私の信仰する神様は、この世界の全ての人間や動物や物を生かし、育んでくださる神様です。私は、今自分が生きているということは、神様が『頑張れ。一生懸命生きて、幸せになれ』と願って働いてくださっているんだと、小さい頃から教えられてきました。私はその神様を信じているんです」。佐藤さんは、話している間中、私の目をジッと見つめてそらしませんでした。私は、神様の思いが伝わるように、祈りながら話しました。「今日、初めてお話しして、私は佐藤さんのことをよく知りません。知らないまま、あなたの願いを聞いて、一つしかない命を絶つ手伝いをしたら、私は信じている神様を裏切ることになるかもしれません。だから、少し待ってくれませんか」と私は尋ねました。そして、「私は毎日、私のおばあさんに会いにここに来ているから、おばあさんのお世話が済んだら、佐藤さんのところへ寄ります。もしよかったら、あなたの話を聞かせてくれませんか? 柵を外すというあなたのお願いを聞くかどうかは、それからでもいいですか?」と尋ねました。
佐藤さんは、しばらく黙っていましたが、やがて大きくうなずいて、「分かりました」と答えてくれました。佐藤さんの目には、いつの間にか涙があふれていました。
翌日から、佐藤さんは、生まれてから今日までのことを少しずつ話してくれました。生まれてすぐに母と死に別れ、継母に育てられたこと。だまされて借金を抱え、苦労したこと。次々に姉や息子を亡くし、寂しいばかりの日々だったこと。話を聞くうちに、佐藤さんの表情は次第に明るくなり、私が行くのを待っていてくれるようになりました。そればかりか、血色も良くなり、食欲も出て、尿が自力で出るまでに体調も回復していきました。人は、寂しくて死を思うことがあるのだと思いました。佐藤さんは、体は死ななかったけれども、寂しさから自分の心を閉ざしてしまいました。心を閉ざすことは、命を閉ざしていることと同じです。
「あの日から、私の世界が変わったように思います。あなたと会って、生きる楽しみができました」と語る佐藤さんは、今では自分から周りの人に「ありがとう」と声を掛け、病室に飾られた花をめで、食事の後も、「ああ、おいしかった」と、家族にお礼を言うようになられました。そして、あの「願い」は、その後、一度も口にされることはありません。