●先生のおはなし
「おめでとう!」

金光教鳳教会
工藤由岐子 先生
人生にはいろいろな出来事があります。今日は、私が今まで言えなかったことを、思いきって話そうと思います。
私が結婚しましたのは、今から30年前の23歳の時です。そして、結婚と同時に、夫の両親とも暮らすようになりました。もうその両親は他界しましたが、同居生活の20年間は、私にとって忘れられない経験となっています。特に舅との関係に苦しみました。
夫の父は勤勉で、博学でしたが、昔気質の封建的なところがありました。お嫁に来て、最初に注意を受けたのは、私が先に赤ちゃんをお風呂に入れたことでした。いつもは義父が一番に入りますが、その日、夫の母が私に、「赤ちゃんを先に入れてあげて」と言ってくれましたので、その言葉に甘えました。たぶん義母は、赤ちゃんのためを思って、「先にそうして」と言ってくれているようでした。ところが、子どもをお風呂に入れた後、義父がやってきて、「今度からワシが先に入る!」と叱られました。それ以来、子どもは、一番風呂の義父に入れてもらうことになりました。嫁は絶対に最初に入ってはいけませんが、息子である夫なら良いようで、夫が家にいる時は、夫に入れてもらうようにしました。私は核家族の家庭に育ったのですが、実家の父は、いつも最後にお風呂に入っていましたので、ささいなことですが、ギャップを感じました。一事が万事です。
もちろん、同居して良かったなと思うこともあります。それは、夫の父も母も、子どもの面倒をよく見てくれましたので、私は子育てに煮詰まることがなく、ゆったりと2人の子どもたちと接することができました。子育てに関する口出しもされませんでしたので、その点も助かりました。ただ義父は、孫や夫には甘かったのですが、私に対しては厳しいと思いました。嫁を育てようと思ってくださっていたのでしょうが、それがかえって、私の負担になっていました。
一番つらかったのが、姑が亡くなってからです。ちょうどその頃、実家の母が、くも膜下出血で入院していましたので、兄弟がいない私は、看病と病院の対応にも追われていました。病院通いにはエネルギーを使います。ヘトヘトで帰宅しましたら、デンと座っていた義父が私に、「洗い物の食器が残っていますよ!」と言うのです。そんな中、夫は家事を協力してくれるようになり、家の洗濯物を取り入れて畳んでくれましたが、それを見ていた義父が、夫にではなく、疲れて帰ってきた私にこう言います。「一家の主人に洗濯物を畳ませるとは、どういうことや!」。
それを聞いて辛抱できなくなった私は、初めて義父に言いました。「嫁の体はどうなってもいいんですか! 私もいっぱいいっぱいなんです!」。
しかし、その後、義父は末期がんになりました。日に日に弱っていきました。私を呼びます。「ゆっこさん、トイレに連れて行ってください」。歩けなくなった義父が、私の背中に覆いかぶさってきた時、「あんなに強かったお義父さんが…」と、義父の病の重さを感じ、ショックを受けました。義父は、「お世話になります」と言いました。絶対に弱いところを見せなかった義父が、振り絞ってそう言ったように聞こえました。
ちょうどその頃、娘の高校受験が近付いていました。私立高校には受かりましたが、できれば希望の公立高校に行けたらなと願っていました。ただ、その志望校は競争率がとても高くて、娘の学力では、五分五分のようでした。しかし、私立は先に合格していますので、チャレンジすることにしました。
そして受験の日の朝、ベッドで療養していた義父が、娘に、「頑張って!」と声を掛けてくれました。孫娘のことを心から応援してくれました。ところが、結果は不合格でした。娘と一緒に、高校まで発表を見にいきましたが、番号がなかったのです。五分五分だったとはいえ、期待を持っていましたのでショックでした。まず夫に電話をして、つらかったのですが、義父に伝えてもらいました。
その後、何とも言えない気持ちで家に帰り、「ただいま」と言って、真っ先に義父の所に2人で行きました。うつむいていますと、義父が発破を掛けるように娘に、「おめでとうや!」と言いました。通う高校が決まったから、おめでとうと言ってくれたようです。でもこのタイミングで、「何がおめでとう?」と思いそうですが、病床の義父から言われますと、力強さがあり、おじいちゃんとしての思いも伝わってきて、娘も私も泣きました。娘は後から、「おめでとうと言われたことは一生忘れない! おじいちゃんもつらいはずなのに、私を励ましてくれたから」。こう話していました。
娘が通うことになった私立高校は、実は、義父の母校でした。入学式の日、娘はピカピカの制服を着て、ベッドで寝ている義父の横に立ち、ツーショット写真を撮りました。義父は孫娘の晴れ姿を見て、うれしそうに笑いました。昔の母校の話もしてくれました。そして4月の15日、お庭の桜の花が散るのと同時に、義父は穏やかに息を引き取りました。
あれから11年になります。娘はもう27歳で、希望した会社に就職しています。「受験シーズンが来るとあの言葉を思い出すね」と話しています。いろいろなことがありましたが、経験は全て無駄になっていません。未熟だった私を、神様が義父を使って育ててくださったのかなと、今はそう思えてなりません。