●先生のおはなし
「神様は親」
金光教麻布教会
松本信吉 先生
おはようございます。東京都麻布教会の松本信吉、52歳です。私は、23歳の時に金光教教師となり、33歳から3代目の教会長として奉仕をさせていただいております。1つ年下の妻との間に、17歳の娘と13歳の息子がいます。
今日は金光教の神様、天地金乃神様についてお話ししていきたいと思います。この神様は絶対的な、完全無欠の何でも願えばかなえてくれるという神様ではありません。むしろ慈愛を持った「親のような神様」だと私は思っています。
私には現在高校2年生になる娘がおりますが、その娘が中学校卒業の時の「両親への感謝の手紙」の中で、「私はお父さん、お母さんの子どもに生まれてきてよかった」と書いてくれました。私も妻も大変うれしく思いました。
私は娘が生まれて初めて親になりました。その成長の過程では、受験や人間関係に悩んだりと、様々なことがありました。毎朝、電車で40分掛けて高校に登校しますが、今日も事故、けが、トラブルや病気なく、つらいこと、悲しいことなく、先生、友達と無事安全に過ごせますようにと祈ります。ここまでもいろいろな壁にぶつかりましたが、その時々に娘のことを祈り、共に壁を乗り越えていくことによって、親の心も助かっていきました。私はそのことによって、天地金乃神様が私たちをどんな思いで守ってくださっているか分かるような気持ちになったのです。
そして「私は天地金乃神様の子どもでよかった」と思いました。
金光教では、天地金乃神様を「親神様」と呼びます。まさしく親あっての子ども、子どもあっての親。それと同じように、神あっての私たち人間、人間あっての神様なのです。親が子どもを愛し、子どもが親を慕うように、神が人間を慈しみ、人間が神を慕う。それが金光教の信心です。
私は、金光教だけでなく、世界のどんな神様も人間が幸せであることを願ってくださり、氏子から、「私はあなたの子どもでよかったです」と言われれば、きっと喜んでくださると思うのです。
我が家の下の男の子は、中学1年生になりましたが、この子が1歳10カ月の時、大やけどをしました。ヨチヨチ歩きの長男が、妻がちょっと目を離した時に、台所のカウンターの上にあった沸かしたてのコーヒーメーカーの取っ手に手を掛けてひっくり返り、熱湯をかぶったのです。異様な泣き叫ぶ声に、私が台所に駆け付けた時には、割れたガラスと湯気の立つコーヒーをかぶった長男が泣き叫んでいました。急いで服を脱がせて、真っ赤になった左肩から腕にかけて、「神様」と願いながら冷水を掛けました。すると、柔らかい肌がめくれ、肉が見えました。泣き叫ぶ長男を御神前で「神様」と抱きかかえながら祈り、車に乗せて最寄りの病院へ妻と向かいました。
「大やけどをしています! 何とか治療してください」
しかし、その病院では手に負えないので1キロ先の大病院へ運んで、1カ月の入院治療となりました。頭や顔は大事ありませんでしたが、全身を包帯で巻かれた長男の姿は本当に可哀想でした。私も妻もこの時ほど、「この子と代わってあげたい」と思ったことはありません。
同じように、天地の親神様は、危なっかしい私たちをいつも見守ってくださり、つらい時には痛みを分かち合ってくださっておられるのだと思います。
大きくなってやけどの痕のことでいじめられないだろうかと心配もしましたが、小学校もいい友達や先生に恵まれ、今は中学校の野球部に入って、毎日楽しく練習に参加させていただいています。日曜日に試合のある日は、グランドに応援に行きます。パパ友達と共に子どもたちを応援し、ヒットを打つと肩をたたき合って喜びます。
10数年前、大やけどをした時には、想像もできないくらい元気に育ち、やけどの痕は残っていますが、みんなと楽しく野球ができていることを神様にお礼を申し上げる毎日です。
かく言う私も、小学校3年生の時に突然胃けいれんを起こし、締め付けられるような痛みで七転八倒し、苦しみました。その時、両親と祖父が神前で神様に必死で祈ってくれたことを覚えています。あの時の両親や祖父の祈る後ろ姿は今でも忘れることができません。まさしく理屈抜きに、「この子の痛みをとってやってください」と神様にすがる姿でした。
あれから40数年経った今、私は毎朝バトンケースと重たいカバンを抱える娘とバットケースと重たいリュックを背負って登校する息子の背中に手を合わせ、今日の無事安全を願います。そして、天地金乃神様が今日も同じように私たちを見守ってくださっていることに感謝の祈りを捧げ、信者さんや関わりある方々の幸せ、そして世界の平和を願います。
教会は人間の思いを神様に届け、神様の思いを教えてくれるところです。神様は親のように私たちを守ってくれます。あなたも近くの金光教の教会を訪ねてみませんか?