●信心ライブ
「幸せの匂いがする」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。今日は兵庫県、金光教香櫨園教会の教師、武部眞子さんが、平成29年、岡山県にある金光教本部でお話しされたものをお聞きいただきます。
武部さんのご主人、前の香櫨園教会長・武部勇雄先生は、平成9年に脳内出血が起こり、左半身にまひが残りました。必死にリハビリをされていたのですが、その4年後、再び脳内出血が起こりました。医師からは、「前回は左半身にまひが残りましたが、今回は右半身にもまひが残り、もう話すことはできません」と告げられたのです。
(音源)私は現実が受け入れられないまま集中治療室に入りましたら、勇雄先生は私の顔を見て、「やあ」という顔をしてニコッと笑いました。でも、しゃべれません。あれほどリハビリを頑張って、あれほど動くようになっていた左手も左足も全く動かない。右手、右足も全く動かない。つまり、両手両足、言語、全身まひという障害を持って、その日から生きるということになったのでした。それでも病院で安心して養生ができ、しっかりリハビリしていただき、ほとんど寝たきりに近い状態から、車いすで移動ができるまでに回復させていただきました。
勇雄先生が倒れて以後、「大変や、大変や」と思っている中で、3年後にご本部へお参りさせていただきました。娘が「車でだったらドアツードアよ」と言ってくれたのでした。でも、最高レベルに近い障害者が長時間移動するということは、簡単なことではありません。まず、飲まず食わずで一日中というのは無理です。勇雄先生の食事の分は、全て粉砕し、それに山芋や生卵でとろみをつけます。それを障害者用の器に入れ、障害者用のスプーンをしびれている右手に持たせてあげ、顔の前に鏡を置くと、食べ物が自分の口の中のどこにあるか確認しながら咀嚼(そしゃく)をし、誤飲しないように神様にお願いしながら飲み込みます。ですから、食事に関してだけでもいろいろな荷物が山のようにできるわけです。それら全てを車に積み込んで、西宮市からご本部へ向けて参拝させていただきました。
お広前正面から入らせていただき、そこから先はリハビリで練習しましたように、夫婦で向き合って、勇雄先生は私の肩に両手を置いて、私は勇雄先生の腰を支えて、勇雄先生は前に私は後ろに、1、2、1、2とご神前の方に進ませていただきました。金光様がお座りくださっているお結界の前にいすを置いていただき、座ったとたん勇雄先生はお広前の端から端まで響き渡るほどの大きな声で、「ウワー」と泣きました。…ありがたい。それはそうでしょう。二度目倒れたあの病院の集中治療室にいた時には、それから3年後にご本部へお参りができるなんて考えられませんでした。それが、私に支えられてとはいえ、今、自分の足でご本部の畳の上を歩かせていただいたのです。こんなにありがたいことがあるかと思うと、もう抑えきれない。「ウワー」っと泣きました。私も泣きました。そうしましたら、金光様が何度も、「ようお参りができました。ようお参りができました」と言ってくださいました。お参りができるということは、決して当たり前のことではない。本当にありがたいことです。
そして、平成17年、東京まで車で2泊3日の参拝旅行をさせていただきました。この東京まで行くことができたことが、勇雄先生にとって体力的に大きな自信となり、次の年から車で2泊3日の旅行をさせていただくという流れができました。このように障害1級、介護度4の障害者が毎年車で旅行させていただきました。
すると、勇雄先生担当のケアマネージャーさんが、我が家に来られる度に、「ここへ来たら幸せの匂いがする。心のより所を持っておられる方は強いですね」とおっしゃってくれるようになりました。私はその言葉を聞かせてもらう度に、「それほどのおかげを頂いているんや」と自覚させられました。そうして振り返ってみますと、勇雄先生が倒れて以後、「大変や、大変や」と思っている中でしたが、気付けば教会後継者ができ、子どもたちはそれぞれ結婚させていただき、孫を3人授かっていました。その中で勇雄先生は、にぎやかに、そして、心穏やかに養生させていただいている。何とありがたいことかと思いました。どのような状況の中でも、神様のおかげは人間の知恵や計算をはるかに超えて、何と大きくて何とありがたいことかと思わせていただきます。
(ナレ)いかがでしたか?
生きていると、現実から目を背けたくなるようなつらいこともありますが、武部さんのお話を聞くと、どんな状況の中にも、神様は幸せの道をつけてくださっているんだと心強く感じさせられます。