●信心ライブ
「ごちそうさまをどこで言う?」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日は、兵庫県にある金光教柏原教会の青木洋さんが、平成31年2月に阪急塚口教会でお話しされたものをお聞きいただきます。
胃がんのため、胃の大部分を取る手術を受け、ひと月ほど前に退院されたばかりの青木さん。どのような思いで日々を送っておられるのでしょうか。
(音源)今まで胃が、体の中でどれほど重大な役割をしてくれていたかということを、今本当に、身に染みて分かりますね。
胃の5分の4が、さよならしてしまったことを「ごめんね」と思います。体から切り離して、捨ててしまったということが申し訳ないという思いを持ちながらね、「せめて焼肉でもしてやったらなあ。もつ鍋でもしてやったらよかったのに…」とか冗談で子どもらと話すんですけどね。
何年か経てば、食道とか小腸が、補ってくれるらしいんですよね。でも、そんな簡単なもんではないんです。一つは…年数経てばそうなるか知らんけれども…これは、もうそんな簡単に、「ああ、胃を取っても大丈夫でした」なんていう言葉は絶対使うたらいかんなあと私は思っておりますね、今。しかし、何年かしたら、私も忘れてしまうかもしれません。
数年前に私は骨折しましたが、しばらくの間は、歩くことに、足のありがたさに、もう一歩一歩お礼を申しておりました。しかし、その私が、今足のありがたさをもう忘れているのを思うとね、胃のことも忘れてしまう時が来るのかもしれんと思います。そうはならんようにと思いながら過ごさせていただいております。
一つには、食べ方。一個一個よく噛んで食べないとあかんのですよね。今まで私は、どんな食べ方していたかという反省をさせられる。のど越しを楽しんだ食べ方でしたね。
基本的には何を食べても大丈夫なんですよ。何でも結構です。でも、少量しか、もう受け付けないんですよね。今はそういう体になっておりますけれども、でも、その食べ物に対する食べ方が変わっていきますね。
ご飯粒を一粒食べるのに、どれほどかむかというぐらいにかみます。今までのど越しでのみ込んでいて、ほとんどかんでないのが、自分でよく分かりました。最初に出たのが重湯。それからだんだんと五分がゆとか濃くなっていくんですけども、そのおかゆ一つね、少量ずつのみ込んでいかなあかんので、おかゆをかむわけですよ。今までどれだけかんでいなかったかというのは、おかずが出てようやく分かるんですよね。もうすぐ口に入れたらのみ込もうとしてしまうんです。胃が無いもんですから、胃の代わりを口でせなあかんわけですから、かんでかんでということをせなあかんのですね。かんでかんでのみ込む。ドロドロにしてから、胃の働きを口でしてからのみ込むということをしておりましたので、だんだん食欲なくなっていく。もう疲れるんです。「もう…。また噛まなあかんのか…」いうぐらいにね。それでお腹も空きませんしね。
でも、その時に今までの食べ方の反省をだいぶさせてもらいました。どんなに胃に負担を掛けてきたかと思いましたら、相済まん思いがしまして、病院の食事を頂きながら、おわびを申しながら、しっかりとかんで…。そうしました時に、おかゆですけれども、もう粒はないけれども、頂き方が変わりましたら…時間を掛けて口の中でかみますと、一生懸命かむ間にね、私は、「やはりこれは信心でかましてもらわなあかん」と思った時に、稲穂を思い浮かべるようになったんですね。
お米をかみながら、稲穂を思い浮かべる。ニンジンを食べながら、畑を思い浮かべる。そして、そこに、大地の中から芽が出て、育っていった姿をもって、今日ここに頂いておるこのお野菜をかみしめさせて頂いただいておる。それには天と地の働きがあり、そして、その働きの中でお育てくださった神様のお働き、そして、お百姓さんのお働き。もう天地と人間のコラボレーションの作品というかね…。そういうものとして思い描いて、そして、「それを今頂いております」とお礼を申しながら食べるようにさせてもらったんですね。
一つひとつを、今もかみしめながら食べないといかんので…これもゴクンとのめるようになってきたら、また消えていくかもしれませんけど…今大事にさせてもらってましてね。
ですから、鶏肉が出てきた時には、鶏を描く。描きにくいですよ。でも、鶏を描いて、「ああ、鶏のいのちを頂いて…」と思う。卵を食べましても、また鶏が出てくる。鶏を描く。
そして、鶏も鶏だけが生きているわけじゃないですから、鶏が生きていくためには、また鶏の餌もあってのことであります。「天地の働きの中で育ったものが、今日ここにあって、いのちを頂いているんだ。私のいのちとつながっている」というような思いを持ちながら食べないと、何か申し訳ないようになってきましてね。今、それに取り組んでおる最中であります。
そういう中で、いろいろとおわびを申しながら、お礼を申しながら生活させてもらっていたら、とても充実してます。今までとは全然違う充実感ですね。食事に対する充実感。今までどんな食べ方していたかなと思います。一食食べるのに、もう5分も掛けずに食べてましたね。すぐ「ごちそうさまでした」と終わっていました。
今は違いますよ。最近は、ごちそうさまをおトイレで言います。
(ナレ)ごちそうさまをおトイレで言うという青木さん。口、食道、胃、腸を始め、全身の働きがあって、食べ物の栄養は身に付き、不要なものは排泄される。それが、いのちの元になっているということを、身に染みて感じておられるのでしょう。
ユーモラスなお話から、「食べること」を通して、「今生きていること」への深い喜びが、生き生きと伝わってきました。
今、こうして生きているということ。そこには、いのちを支える天地の働きがあることを、毎日の食事の度ごとに、ありがたく味わっていきたいものですね。