●信心ライブ
「神様がさせてくださる」
金光教放送センター
(ナレ)おはようございます。
今日お聞きいただくのは、兵庫県・清滝教会の教師、中村宏子さんが、平成29年5月、ある教会の祭典の後で話されたものです。長いお話の、ほんの前置きの部分ですが、「信心とは何か」ということについて、非常に大切な内容を含んでいると思いますので、聞いてみてください。
(音源)私が初めてご大祭でお話をさせていただいたのは、今から2年前に、親教会である八鹿教会でお話をさせていただきました。でも実はそれより以前に一度お断りしたことがあったんですね。その時も親教会の八鹿教会の親先生からお話のご用してくれんかなぁって、ありがたいお言葉をかけていただいたんですけども、私はその時お断りしてしまったんですね。それというのが、いちばん下のわかばがお腹にいて、その5月がもう臨月だったんですね。すごいこんなお腹してまして、もし体調が悪くなったりして、当日来れないなんていうことになったら悪いなあと思って、お断りさしていただいたんですけども、それでも私は申し訳ないなという気持ちと、どこかでほっとしていた自分もいまして、やっぱりすごい緊張もしますし、私にそんな大役が務まるだろうかっていう思いのほうがあったと思うんですね。
それから、何とか順調におかげを頂いて、5月の23日に陣痛がきまして、八鹿病院に行かしていただいたんです。でも、なかなかお産が進まなくてですね、もう本当に苦しくって、「金光様、金光様」と言って、ずっとお願いしたんですけども、しばらくしたら助産師さんが触診してくださって、言われた一言が、「赤ちゃんが強靱な卵膜に包まれている」って言われたんですね。赤ちゃんを覆っている膜がすごく硬くて、それが破れないからお産が進まなくて、で結局、助産師さんに人工的にその膜を破っていただいて、そこからは早くて、わかばは無事に生まれてきてくれたんです。
で、まあよかったよかったっていう話なんですけども、後になって考えてみますと、私、本当に、ああ、なんてご無礼なことをしてしまったんかなって思ったんです。その親先生からお話を頂いた時に、私はその神様に、どうぞご用さしてくださいというお願いをせずに、自分の勝手な考えだけでそれを断ってしまっていたんですね。たとえ臨月に入っていても、しっかりお願いして、そうやって過ごさせてもらってたら、どんな形でもご用できたんじゃないんかなと思って、すごく後悔しました。
その、赤ちゃんが固い膜で覆われてるって言われたときにですね、神様が、「ほら、赤ちゃんのことはちゃんと守ってやっているんだぞ」って言われたような気がしたんですね。そんなことがあったので、それから3年後の春に、お話の御用をって言われた時には、すぐにさしていただきますというふうに言わしていただきました。
教祖様の御教えに「何事にも、自分でしようとすると無理ができる。神にさせていただく心ですれば、神がさせてくださる」というみ教えがあります。今もほんと、まさにそのとおりなんですけども、3年前は今よりももっと子供たちも小さくて、私ももっとバタバタしてましたので、ご大祭までの一日一日を、ほんとに神様にお願いしながら過ごさせていただいて、ご用を無事に務めることができたんですね。
そしたらですね、不思議なことが起こったんですけど、そのわかばがですね、生まれた時からずーっと便秘で、3日4日に1回出るのがもう当たり前、それも病院から頂いたお薬を飲んだり、私が綿棒で、肛門のところをしてやらないとなかなか出なかったんです。
しかも3歳を過ぎても、わかばは、ウンチっていうのはトイレでするもんじゃなくて、オムツの中にするもんだっていう、そういう思いがあったみたいで、なかなかおむつが取れなかったんです。そしたら次の夏の八鹿教会の教会設立記念祭の日の朝に、さあもう行こうとした時にですね、急にわかばが「トイレ行きたい」って言い出しまして、で私も、ああもう急いどるのになあと思いながらも、連れて行ったんです。そしたら、トイレで便が出まして、わかばも喜んで「ワッピ、うんち出た」って言って、すごい喜んでですね、私もほんと嬉しくって「金光様、おかげ頂きました。ありがとうございました」って、叫んでたんですね。で、それから毎日毎日、便がちゃんとトイレで出るようになりまして、3年以上あったその便秘がね、この日を境に治ったんですね。
私はその、御用をさしてもらったからそうなったのかっていう、そういうことはちょっと分かんないですけど、それでも、神様が親教会のお祭りの日にそういうおかげを下さったっていうことがね、本当に嬉しかったんですね。
自分には無理だって、到底できっこないっていうことでも、自分がするんじゃない、神様にさしていただくんだと思わしてもらったら、ほんとに気持ちが楽になるんですね。
(ナレ)大変な仕事を頼まれた。お産の時、卵膜が固いと言われた。子どもがトイレを使えるようになった…。事柄だけ見れば、取り立てて珍しい話ではありませんし、何のつながりもない出来事のようにも見えます。しかし中村さんは、日々のこうした事柄の中にも、神様が自分に懸けてくださる期待や、深い愛情を、丁寧に読み取っていきます。そして、それを心の支えとして、難しいこと、苦手なことにも、明るく元気に取り組んでいくんです。
中村さんの声から、「ありがたいなあ」という気持ちが伝わってきます。信心というのは、こういう物事の捉え方、生活の仕方のことなんですね。