●先生のおはなし
「ラジカセ」
金光教枚方教会
四斗晴彦 先生
金光教の教会に生まれた私は、30歳を過ぎてから、金光教の教師になりました。教会長である私の父は、決して多くを語るような人ではありませんが、その背中で歩むべき道を教えてくれるような人で、私は50歳になろうかという年になっても、父親を頼りに教会勤めをしているような有り様でした。
4年前、その父が78歳で突然この世を去りました。朝、いつもの時間に起きてこないので、様子を見にいくと、既に体が冷たくなっていました。父は大きな病気にかかることもなく、心身とも健やかに毎日を過ごしておりました。亡くなる前日も、いつもと同じように好きなお酒を飲み、ひいきのプロ野球チームの試合をテレビで見てから床に就いていましたから、一体何が起こったのかしばらく理解できませんでした。
それから、慌ただしく葬儀を仕えました。それまでずっと父を頼りにしてきましたから、葬儀が終わると、父はもうこの世にいないんだという現実に、「さあこれから教会長として自分はやっていけるのであろうか。どうすればいいのだろうか」という心配、不安が、湧き上がる雲のように現れては消え、消えては現れます。
金光教には、「心配する心を神に預けて、信心する心になれよ」という教えがあり、それまで教会にお参りする人には、教師の立場からいつもそのようなお話を伝えている、そんな私でありながら、いざ自分にも大変な状況が生まれてみると、オロオロとするばかりです。そんな日々が一日一日と過ぎ去る中で、父は今の自分の姿をどのように見ているだろうかという思いが生まれてきました。亡くなった父のほうが、よっぽど今の私の姿を心配しているのではないかと気付き、「父に心配を掛けてはいけない。さあ頑張らねば」と心が動くようになりました。
それから1年、2年と、残された母と2人で教会に奉仕し、常に「私がしっかりしなければならない。私がやらなくちゃいけない」という、「私が、私が」という思いで取り組んでいた頃のことです。隣町にある教会の先生から電話連絡がありました。「あなたのお父さんが30数年前に私の教会でお話ししたお説教を録音したカセットテープが出てきたので、あなたに差し上げます」という内容でした。
ところが、私の教会にはカセットテープを再生する機械がありません。もうカセットテープを使うこともないだろうと処分してしまっていたのです。そのことを伝えると、昔はやったカセットテープを再生するポータブルの機械を一緒に貸してくれました。
人から勧められて本を貸してもらっても、なかなか読む気が起こらず、でも感想を求められると困るので、「読まなきゃ、読まなきゃ」という気持ちだけが先走るといったことは、誰しも経験すると思います。その時の私がまさにそうでした。貸してもらったカセットテープを「聞かなきゃ、聞かなきゃ」と気持ちだけが焦るものの、そのままひと月ほど経過してしまったのです。
そんなある日、私の教会にお参りする方が、「先生、もし邪魔ではなかったら、これを教会で使ってくれませんか」と1台の機械を持ってこられました。それは、ラジオカセットテープレコーダー、いわゆる「ラジカセ」でした。このタイミングでラジカセを持ってこられたということは、「早くカセットテープを聞きなさい!」という神様からのメッセージであると受け取る他はありません。私は、「ありがとうございます。使わせていただきます!」と喜んで返事し、早速にそのラジカセを使って、昔の父の話を聞きました。それは次のようなお話でした。
毎日教会にお参りしているご婦人が、ある日ぴたりと来なくなった。父はどうしたのだろうかと心配していると、2週間くらい経った頃にそのご婦人がお参りに来られた。その様子は、杖をつきつき、ようやくに歩いているような状態で、聞いてみるとお尻に出来物ができて腫れ上がり、起き上がることができず、ようやく今日になってお参りしてきたとのことでした。父はそのご婦人といろいろとお話をした後、彼女が帰ろうとする際に、「あなたはここに来る時には、杖を手にして来たけれども、帰りはその杖をここに置いて、神様を杖にして帰られたらどうですか」と勧めたのです。
金光教には、「金の杖をつけば曲がる。竹や木の杖をつけば折れる。神を杖につけばよい。神は、曲がりも折れも死にもなさらない」という教えがあります。神様に任せきるという厳しい教えなのですが、父の言葉を聞きながら、その時私の中に芽生えたのは、「まずは周りの人間に頼っていいよ。周りの人間を杖にしていいよと言ってくれているんだ」という思いでした。心配と不安、私がやらねばというプレッシャーに押し潰されそうだった私の心がふわりと浮き上がりました。同時に、いつか私が神様を杖にすることができるように願っている父の姿も浮かんできました。
そのラジカセは今も教会に置いてあります。それを目にするたびに、父に話し掛けます。「まだまだ心配でしょうから、どうぞ御霊様として私の杖でいてください」