親に頼る


●先生のおはなし
 「親に頼る」

金光教春日出かすがで教会
川勝信道かわかつのぶみち 先生


(ナレ)おはようございます。パーソナリティの大林おおばやしまことです。
 今日は「親に頼る」というタイトルのお話を聞いていただくことになっています。このタイトルを見た時に、私は何歳頃まで親に頼ってたかなと考えさせられました。父はもう5年前に亡くなりましたが、いまだに父の霊前で、「この問題、どうしたらいいでしょうかねえ」なんて相談していますので、この分だと、一生頼り続けそうな予感がします。
 さて、お話しくださるのは、大阪市にあります金光教春日出かすがで教会の教師、川勝信道かわかつのぶみちさんです。「親に頼る」。

(本文)現在私は、妻と中学3年の長男、中学1年の次男、小学4年の長女に恵まれつつ、金光教の教会で御用をさせていただいております。
 次男が小学校5年生の時のある日、夕食後、家族そろってテレビを見ながらくつろいでいると、彼があるコマーシャルのセリフをまねして、「俺、大学に行くのやめる」と言いました。私が、「じゃあ、やめとき」と言うと、彼は、「どうせお金がかかるからやろ」と言いました。そこで私は、「行くなら自分のお金で行き」と言いました。すると彼は、「いや、俺は親のすねをかじる!」と言いました。そんなことをキッパリと断言することが「面白いなあ」と思ったのと同時に、「これでいいのやなあ」とも思いました。
 と言いますのも、私は若い頃、親の世話になることが情けないことのように思っていたのです。「親の世話にならず、自分でやっていく!」と強く思っていた私は、大学に行ってほしいという親の願いも聞かず、高校卒業後はアルバイトをしながら、中学の時から友人たちと組んでいた、バンド活動を続けておりました。二十歳くらいの時には家を出て一人暮らしを始め、毎日を自由に楽しく過ごしていました。
 しかし、何年かすると、友人たちは大学を卒業して就職したり、結婚をして家庭を持ったりして、バンド活動ができなくなりました。バンドのことしか考えていなかった私は、一人取り残されたような思いになってしまいました。そんなこともあって、心の病にかかり、アルバイトにも行けなくなり、借金もでき、行き詰まってしまいました。結局は親の元に帰って、借金も親に払ってもらい、精神科に通いつつ、家で養生することになりました。
 そうした中、古くからの友人が、「おまえの家は金光教の教会なんやから、そこの教師になったらどうや」と言ってくれました。先の見通しも立たない私にとって、その言葉は一つの後押しになりました。考えてみれば、教会に育ちながら、金光教についてほとんど知らなかったのです。そこから金光教の信心を勉強するようになり、病状もだんだんと回復していきました。そして、26歳の時に、金光教の教師を養成する金光教学院に入り、1年の修行を終えて教師になり、教会の御用をさせていただくようになりました。
 そのような中で気付かされたのは、それまでの自分勝手で自己中心的な自分の姿でした。親の言うことにも人の注意にも聞く耳を持たず、「何でも自分でできる」「自分が常に正しい」と思い込み、そして、そのために自分が苦しむばかりでなく、親兄弟や友人たちにも大変な心配と迷惑を掛けていたのです。
 金光教の教会で、ご神前で唱える言葉の中に、「人とある身は神をわが親神と慕いまつりて限りなき恵みのなかに生かされて生くることこそ道理なれ」という文言があります。私も信心を進めていく中で、親神様である
天地金乃神てんちかねのかみ様に生かされて生きている人間の一人として、何事も自分だけの力ですると思わずに、神様にお願いしてさせていただき、神様と共に歩む生き方をしたいと願うようになりました。
 そうしますと、「自分が!」「自分で!」という力みや焦りもなくなり、心も落ち着き、安心して物事に取り組むことができて、神様がいろいろと働いてくださっていることを感じられるようになりました。つらい苦しいとばかり思っていた心が、だんだんとありがたい心にならせていただきました。そして、心配ばかり掛けてきた親に少しでも安心してもらえるようにと願っておりましたら、結婚もでき、子どもにも恵まれ、親も喜んでくれるようになりました。本当にありがたいことです。
 子どもが「親のすねをかじる」と言った時に、「これでいいのやなあ」と思ったのは、私自身のこのような経験があったからです。かつての私のように何でも「自分で!」と意地を張るより、素直にお世話になったほうがいいと思ったのです。そして私は神様に、「子どもが親のすねをかじると言っておりますので、どうぞ立派なすねをお授けくださいますように」とお願いさせていただきました。

(ナレ)いかがでしたか。「俺は親のすねをかじる!」という小学生のセリフ、面白いですね。
 「人事を尽くして天命を待つ」という言葉がありますね。人間としてできる限りの努力をし、結果は神様にお任せするということで、これは人生の大切な心構えだと思います。しかし、その「人事を尽くす」というのも、自分の力だけでできるのではなくて、神様から命を恵まれ、多くの人や物のお世話になってこそできることなんですね。
 そのありがたさを胸に刻みながら人事を尽くす。今日をそんな1日にしたいと思います。

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