かんべむさしの金光教案内Ⅲ 第2回



●第2回
「かんべむさしの金光教案内Ⅲ」

金光教放送センター



 おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」。先週は教祖さんの人物紹介と、その教祖さんが始められ、今でも全国各地の教会で毎日続けられております、「取次」ということについて、お話をいたしました。
 人の願いや悩みを神に取り次いで、その成就や解決を祈念する。そして同時に、神の思いを人に取り次いで、その人に合った、より良い生き方を教えていく。そこで今朝はその取次の具体例を、金光教の教典から紹介させていただきます。かなり長い記録なので、ダイジェストさせていただきますが、明治6年のお話です。
 荻原おぎはら須喜すぎさんという若い女性が、「血の道」、今で言えば婦人病の一種ですが、それで2年間寝付いておりました。医者よ薬よ、さらには当時のことですから加持かじ祈祷きとうよと、手を尽くしても治らず、夫も両親も困り果ててたんですね。そしたらある時、知り合いの人が、「まあ、一遍参ってみなさい。他の拝む人とは違って、神々しいもんじゃ」と、備中大谷の金光様、つまり教祖様を薦めてくれました。
 そこでまず、須喜さんの父親が参って、「どうぞ娘の病気を治してください」とお願いしました。そして教祖さんが、「信心しなさい。信心さえすれば、おかげはあるから」と優しく教えてくださったので、以後そのとおりにしてたつもりだったんですが、やっぱり治らない。それでもう一回父親が参ったら、教祖さんは今度は、「一遍でいいから、連れ添う亭主に参ってこさせなさい」と仰った。
 で、ここからが教祖さんと須喜さんの夫との対話で、私が「なるほどなあ」「おもしろいなあ」と思った部分なんですが、
「お前の家ではどんな信心ができておるか」「へい。日本国中、あらゆる神仏を信心いたします」「それはあまりの信心じゃ。その中でも、特にありがたいという所はないか。何もここへ信心せよと言うのではない。自分が本当にありがたいと思う神様に一心に信心すれば、おかげが受けられるのじゃ。お前の家の信心は一心になっていない」
 そして、さらに言われたんですね。
「病気をしてる本人は、まことに執念深い者で、常に不足ばかり並べておるが、不足におかげはない。日夜、あれにもこれにも、不足ばかり言うておるじゃろう」
 須喜さんには会ったこともないのに、次から次へとその具体例を挙げられて、
「それだから病気をしておるし、治りもしないのじゃ。帰ってそれを病人に伝えて、本人がなるほど私が悪かったと、腹の底から得心がいったら、一家相談の上、ここぞと思う神様に信心しなさい。必ず治るから」
 その教えに感激も興奮もした夫が、宙を飛ぶようにして帰って、そのことを伝えたら、須喜さんも心にズキッときたんでしょうね。
「なるほど。私が悪かった。不足とわがままばかりのねじけ根性で、一寸刻みにされても仕方のない人間でした。改心をいたします」
 夫も両親も泣いて喜んで、もちろん一心になるべき信心は、こんなありがたいことを教えてくださった、金光様の所にと決めました。そして夫が翌日それを報告に参ったら、
「今度はおかげが受けられるぞ。しかし、お前がここまで参るには、仕事を休まねばならず、弁当や小遣いの用意もいるから、家で拝んでおきなさい。3週間で治るから」
 そう言ってもらえて、その結果、16日目に起きられるようになり、3週間目には元気な頃と変わらない体になったんですね。
 そこで須喜さんは、夫に付き添ってもらって御礼に参ったんですが、もったいなくて言葉も出ず、畳に頭をすり付けて心の中で夢中で御礼を申し上げてましたら、教祖さんが「ありがたいかや」と仰った。「金光様。もう何も申し上げられません」と、須喜さんは泣くばかりでしたが、教祖さんはまことに優しい声で言ってくださいました。
「よくおかげを受けなさった。今のようなありがたい心に早くなっておれば、2年も難儀せんでもよかったのに。しかし、これまでのつらかったことと、今のありがたいこと、その2つさえ忘れなかったら、病気は二度と起きないからな。そしてこれからは、病気の人がいたら神様に頼んであげなさい。自分はもう治ったから、人のことは知らないというような心を出すと、また病気になるぞ」
 そこでその先、荻原須喜さんは病気や何やで難儀してる人のことを、神様に願ってあげるようになり、大勢の人を助けて感謝されたという、そういうお話です。
 で、私が金光教の教典でこの記録を読んで感じましたのは、教祖さんの優しさ、穏やかさ、親切さ、それから「一心にさえなれるのなら、どこへ信心しても構わないのだ」という教えなど、「金光教の寛容さがよく表れてる話だなあ」ということでした。
 全国各地の教会で、今もこんな具合に、人それぞれの問題に応じた、個別の「取次」が行われてるわけですが、その根本は、理屈ではなく、教祖さんの取次をお手本にした、こういう「心」の世界、「情」の世界です。
 はい。それでは来週は、教祖さんの伝記から、「お供え」についてのお話を紹介させていただきます。ありがとうございました。

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