●第3回
「かんべむさしの金光教案内Ⅲ」
金光教放送センター
おはようございます。「かんべむさしの金光教案内」。先週は、長患いが治った女性の事例をとおして、教祖さんの親切で優しい取次ぶりや、一心に信じることの大切さなどを紹介いたしました。そこで今朝は、教祖さんの伝記から、ある男性信者が参拝した時のエピソードを紹介させていただきます。
時は幕末前後。所は教祖さんがおられた備中大谷ですが、そこから少し離れた村に、国枝三五郎という、農業をしてる人がおりました。目の病気を患って、教祖さんの所に参ってお願いし、良くなったのがきっかけで、信心を始めた人です。で、この国枝さんがある年の夏、畑ですいかが育ちましたので、その「初生り」、最初の収穫を、まず自宅に祭ってある神様にお供えして、次の日、それを持って参拝に出掛けました。
それで、田畑が広がる中の田舎道を歩いて、途中で一服してましたら、そこへ巡礼の親子がやってきました。当時のことですから、親子共に白装束で菅笠をかぶって、長い杖を持ってたんでしょうね。そしてその父親が、「どこへ行かれますか」と聞いてきたので、国枝さんは、「すいかの初生りを持って、大谷の金光様の所へ」と答えました。
そしたら、夏の暑い日で喉が渇いてたんでしょうし、おなかも空いてたのかもしれません。巡礼の子どもが、「わしも金光様になりたい」と言って、つまりそのすいかを欲しがって、泣き出したんですね。それで、国枝さんは優しい人だったんでしょう、かわいそうに思って、その子にすいかをやりました。
しかしそうなると、参拝は手ぶらでということになりましたので、大谷の金光様、つまり教祖さんの所に着いても、何となく入りづらくて、表でもじもじしてたんです。するとそこへ教祖さんが出てこられて、「国枝さん。すいかの初生りは、ゆうべ、神様が喜んでお受け取りになった」と仰った。だから気にせず、安心して中へ入りなさいということでしょうけど、既にちゃんと知っておられたんですね。
それで私、初めて教祖さんの伝記でこれを読んだ時、昔の夏の農村や田舎道の光景が目に浮かびまして、その暑さや静けさが分かり、せみの声なんかも聞こえてきそうに感じました。情景といい、話の内容といい、「これは以前テレビでやってたアニメ番組、『まんが日本昔ばなし』の世界だな。このままアニメにできるなあ」と思いました。元々そういう優しい穏やかな雰囲気は好きですので、一遍で覚えてしまったんです。
で、それはともかく、国枝さんは形としては手ぶらで参ったわけで、すいかそのものは巡礼の子どもが食べることになった。でも教祖さんは、「ゆうべ、神様が喜んでお受け取りになった」と仰った。それはつまり、「おかげさまで、今年も立派なすいかができました。初生りでございますので、神様にお供えさせていただきます」という国枝さんの感謝の気持ち、その素直な心を喜んで受け取られたということでしょうね。
ですから、この逆を考えますと、どんな豪華なお供えをしても、心が伴ってなかったら、神様は喜ばれないということになりそうです。あの人があんなお供えをしたから自分もとか、教祖さんに良い信者だと思ってもらおうとか、そんな気持ちでお供えしても、それは雑念や邪心を供えてるようなもので、本当のお供えにはなってないんでしょうからね。
ちなみに教祖さんは、「難儀な者はお供えをしなくてもよい」とか、「貧しい者が困るから、寄付を募ったり、その割り当てをしたりはしない」とか、そんな意味のことも言っておられます。そして、その伝統は今も生きております。現在、金光教は全国各地のどこの教会でも、さい銭箱は置いてありますし、お供えという慣習もあります。お金を供える方もおられますし、それこそ国枝さんみたいに、田んぼや畑で出来た物を供える信者さんもおられます。しかし、そこに義務や強制はなくて、さい銭を入れようと入れまいと、お供えをしようとしまいと、全く自由です。
私自身の経験ですが、「しかし、全く自由だと言われてもなあ」とか思うのは、お供えをしなかったら自分が悪く思われるのではないかという、見えや体裁の気持ちが元になってることが多いようですね。
自分の心をチェックしてそれが分かりましたので、以来私は、さい銭もお供えも本当に自由にさせてもらい、普段は平気で手ぶらで参拝して、悩み事を聞いてもらったり、願い事を祈っていただいたりしております。
そしてまた、私は御縁を頂いてから現在までの20何年間、教会の先生からも、他の信者さんからも、ただの一度も、賽銭やお供えについて言われたことがありません。これは本当に、「見事だな」と思います。
というところで、時間がきました。来週は、「金光教と女性」について、お話をさせていただきます。ありがとうございました。