●小川洋子の「私のひきだし」
第4回「私の子育て」
金光教放送センター
おはようございます。作家の小川洋子です。「小川洋子の『私のひきだし』」第4回です。本日は、私の子育ての経験から感じたことをお話ししてみたいと思います。
ヴィクトル・ユゴーの小説「レ・ミゼラブル」の主人公、ジャン・バルジャンは、罪人としての過去を捨て、身元を偽って生きてゆく中、血のつながらない少女、コゼットを引き取り、育てます。その経験が彼を変えてゆきます。いつしか、コゼットを守るためなら、喜んで自分の命を神に捧げよう、という境地に至ります。自分の命よりも大切な何かと出会うことが、彼を救ったのです。
自分の命より大切な何か…。若い頃は、そんな発想は全くありませんでした。いつどんな場合でも、自分が一番大事。自分の問題が何より最優先でした。
ところが、子どもを生み、育ててゆく日々の中で、否応なく、人生に対する向き合い方が、変化してゆきました。簡単に言ってしまえばつまり、自分より子どもの命のほうが大事、という思いを抱くわけですが、ジャン・バルジャンとコゼットのように、気高く麗しい物語とは縁遠いのが現状です。授乳して、おしめを替えて、抱っこして、洗濯をして、掃除して、ご飯を作って、その合間に小説を書く。もう目が回るような毎日です。とても、しみじみ感慨にふける暇などありません。
子どもの産声を聞いた時、何て哀しそうな声で泣くのだろうと思いました。これからの人生で出合う様々な哀しみを予感しているかのような、その切ない響きを耳にし、私自身、喜びという単純なひと言では到底表しきれない感情を抱きました。私が手を放せばあっけなく死んでしまうほどに未熟な、この小さな命の塊が、ただひと筋私を頼りとしてこうして泣いています。引き継がれてゆく生命の原点に触れ、畏怖の念を覚え、頭を垂れてただ祈るしかない、という心持ちでした。
今振り返ってみると、子育て、とは言っても、育てた、教育した、という記憶はありません。ただひたすら心配していた、というのが実感です。子どもはすぐ病気にかかります。いくらありふれた病気であっても、母親はいつでも最悪の事態を予測して看病します。中耳炎で泣いている子どもの背中をさすりながら、この菌が脳に達し、意識不明になり、呼吸が止まってしまったらどうしよう、と常識ではありえない事態を繰り返し想像しては、自分で心配の種をどんどん育てていました。
教祖金光大神様は、「心配する心で信心をせよ」と仰っていますが、私のような者にはとても無理な話です。私にできる精いっぱいは、子どもの体をさすりながら、ただひたすら、「金光様、金光様」とお願いするばかりです。
たとえ成人しても、心配が尽きることはありません。栄養のあるものを食べているか、仕事で行き詰っていないか、ちゃんと眠れているか…。いくらでも心配は湧き出てきます。心配する心で、子どもの無事を祈っています。
自分の命より大事なものと出会うことが子育てだ、とようやく分かったのは、とうに子育てを卒業し、孫まで生まれた今になってからでした。3時間置きにおっぱいをやり、熱のある子の背中をひと晩中さすり、朝5時に起きてお弁当を作っていた、あの必死な日々が、いかに幸せであったか。愛する者のために喜んで命を差し出せる自分になれたことが、いかにありがたかったか。全てが過ぎ去ってから、気付いたのです。
ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でジャン・バルジャンは、神に向かって、「死ぬなら私を死なせて」と歌います。コゼットへの愛によって、人として最も尊い心を得ます。そして、偽りのない本来のジャン・バルジャンに戻り、コゼットに見守られ、ほほ笑みながら天に召されます。
金光教の教典にはこんな教えもあります。
「信心する者は驚いてはならない。これから後、どのような大きな事ができてきても、少しも驚くことはない」
もし明日、自分が死ぬことになったと言われたとしても、驚く必要はありません。息子と孫が庭にしゃがみ込み、二人で一緒に蟻を見つめている様子を窓越しに眺めていると、私はただもうありがたい気持ちでいっぱいになります。若い者たちのために、静かに命を差し出したとして、どうして嘆き悲しむ必要があるでしょう。
そういう心境にさせてくれたのが、私にとっての子育ての体験です。
来週はいよいよ最終回です。小説を書いている時、作家の中で何が起こっているのか、というようなお話をしたいと思っています。よろしくお願いいたします。