●信者さんのおはなし
「忘れられない泣き声」
金光教放送センター
福岡県、金光教渡瀬教会にお参りしている大園真由美さんは、現在57歳。高齢者施設で看護師として働いています。真由美さんは、子どもの頃から母親に連れられて教会へのお参りを続け、成人して結婚。第1子を妊娠しました。
出産予定日を過ぎても生まれる気配はなく、処置を施しても微弱陣痛で、大変時間がかかりました。ようやく出産となり分娩室に入ると、にわかに慌しくなり、医師がスタッフを指示する大きな声が響きます。赤ちゃんの心拍数が落ち、急きょ分娩台で帝王切開手術を行うことになったのです。
「麻酔が間に合わないかもしれない」という声が聞こえ、「麻酔なしで、このままお腹を切られるのか」と、とても怖かったのですが、どうすることもできません。しかし目が覚め、気付いた時には手術は終わっていました。「子どもはどうなったのか。子どもに会いたい」と思う真由美さんでしたが、まだ面会することはできず、医師から説明を受けることになりました。
子どもは十分な酸素と血液が供給されない、重症仮死で生まれ、脳の90パーセントと肺もダメージを受けていて、うまく呼吸ができない状況だというのです。目の前が真っ白になり、その後の話は全く耳に入ってきませんでした。
2、3日後、ようやく子どもに会うことができました。保育器の中でたくさんの医療器具につながれた女の子が眠っていました。真由美さんは、「本当にこれは現実なのか」。正直、そのような思いでした。不憫でならず、涙が出て、「こんな大変な目に遭わせてごめん」と、ひたすら謝るばかりで、自分を責める気持ちを拭えませんでした。
真由美さんの入院は2週間続きました。その間、真由美さんのお母さんは、教会へお参りし、教えてもらったことを書き留め、病室の真由美さんに届けました。そこには、「今日もこうして生かされていることに感謝しましょう。決して一人ではない」と書かれていました。「決して私は一人ではない。保育器の中の娘も一人ではない。教会の先生をはじめ、皆が祈ってくれている。祈りの中にあるのだ」と真由美さんは感じ入ったのでした。
「太陽のように皆を明るく」という願いを込めて、太陽の陽の字が入った「陽奈」という名前に決まりました。真由美さんの退院後も、陽奈ちゃんの入院生活は続きました。真由美さんは、毎日陽奈ちゃんに会いに行きます。教会にもお参りし、陽奈ちゃんの様子を話し、体のことをお願いしました。
教会の先生は、親としてのつらい気持ちを受け止めてくれて、続いて、「つらいだろうが、ただかわいそうという思いではなく、今こうして生かされていることを神様にお礼申し上げましょう」とお話しされました。真由美さんのお母さんも、いつも口癖のように、「何事も生かされておればこそ」と言います。「どんなささいなことでも喜ばないけん。当たり前にできることなんて何一つない。陽奈ちゃんのおしっこが少しでも出た、それだけでもありがたいことよ」と励ましてくれます。
教会の先生やお母さんとの話をとおして、ありがたさを見出すことを繰り返し教わりました。自分を責めるのではなく、小さなことでも大きく喜んでいくことが大事だという思いを強くしました。そして、このようなことを教えてくれる教会へのお参りを、どんなに忙しくても大変な時でも、大切にせねばならないと気付かされたのでした。
陽奈ちゃんがもうすぐ1歳を迎えるという頃、ようやく退院となりました。しかしその後も入退院を繰り返す日々が続きました。
そんなある日、真由美さんは初めて陽奈ちゃんが泣く、その声を聞きました。今まで真由美さんは、陽奈ちゃんの声を聞いたことがなかったのです。健康な子どもと同じ、大きな泣き声が響きました。「うれしかったです。たぶん、とてもきつかったんだろうと思います。苦しむ陽奈には悪いけれど、うれしかった。初めて声が聞けた。こんなうれしいことはなかったです」。真由美さんは、声が出るということも決して当たり前のことではない。声を発して気持ちを表現できることのありがたさを感じたのでした。
陽奈ちゃんは、7歳の誕生日を迎えた2日後、息を引き取りました。真由美さんが陽奈ちゃんの声を聞いたのは、あの時とさらに別の日、同じようにきつかったのでしょうか、泣き声を発した、その2回だけでした。
その後、真由美さんは次女と長男の2人の子どもを授かりました。多感な時期を迎え、問題にぶつかることもありますが、「全てが、いのちを頂いて、生かされておればこそのこと」。受け止め方を変えていくことの大事さを子どもたちに話します。忙しい中でも、教会にお参りしてほしい、教会の先生のお話しを聞いてほしいと願っています。仕事のことも、高齢者施設の看護師という、神様から頂いた大切な仕事にあたらせて頂いている。少しでも皆さんが喜んでくださるようにと心がけています。
毎日、陽奈ちゃんのことを思い出しながら、息ができること、自分の足で歩けること、食事をおいしく頂けること、ゆっくり眠れること、そして、声を出して気持ちを表せること、どれ一つも当たり前のことではない。何が起こっても、生かされていることへのありがたさを忘れないように、いつでも家族みんなで喜びを見出していけますようにと、真由美さんは願っています。