●信者さんのおはなし
「神様になったこどもたち」
金光教放送センター
(ナレ)北九州市にお住まいの愛智俊行さん美樹さんご夫妻は、結婚2年目に授かった長男・暖君を、幼くして亡くしました。暖君は、先天性の染色体異常でいくつもの重い病気を抱えて生まれました。そして、2年2カ月を精いっぱい生き抜き、亡くなりました。ご夫妻が金光教と出合ったのは、この時でした。
悲しみに打ちひしがれている俊行さんに、お父さんから、「葬儀は、金光教でするからね」と告げられたのです。その時初めて、俊行さんのおじいさんが、金光教若松教会にお参りしていたことを知らされました。愛智さんご夫妻は、戸惑いながらも、初めて教会へ参拝。そこでの出会いが悲しみと絶望の淵に沈む二人を支えてくれることになります。
(愛智)「暖がまだお腹にいる時から、少しずつ障害が分かってくる状態だったから、あの時は一つ一つむしられてるような気持ちでした。もちろん、その時には教会との出合いもなかったですし、誰にも話せないというか、話したところで何も解決しないし、何も生まれなかったですね。
暖が亡くなって、葬式をどうするかという時に、初めて父から金光教のことを聞かされて、教会とは何かも分からないまま紹介してもらったのが、初めての出合いです。その時にお会いした若松教会の亮先生が、かなり衝撃的でした。僕の周りにいないような方で、同い年だったので、そこから急に距離が縮まったというか、それからの教会とのお付き合いになります。
僕や美樹の抱えたものを楽にしてくれた存在というか、暖が亡くなった後の僕たちの心のケアをしてくれました。無理やり引っ張って導くわけでもなく、後ろから押すわけでもなく、ただただ寄り添ってくれている存在がありがたかったです。
意味も分からず足を運んで、暖が亡くなって、何をしてもテンションが上がらない状態だったその気持ちを紛らわすために、教会に足を運んだ。よく分からないけど、手を合わせてということをくり返しながらの日々でした。金光教のことを教わるよりも、先に僕たちの心を埋めてもらった感じです」
(ナレ)教会にお参りし、心の苦しみを受け止めてもらいながら、少しずつ二人の心は整えられていきました。そして、3年の月日が経ち、「もう一度わが子に会いたい」という願いを持てるようになった時に、第2子を妊娠しました。様々な不安を抱えながらも、無事に女の子を出産。紬と名付けられました。紬ちゃんも、暖君と同じ障害を抱えていました。大手術を乗り越え、暖君の時には叶わなかった自宅での育児をすることができ、幸せな時間を過ごすことができました。
しかし、紬ちゃんが2歳2カ月の時に、心肺停止となりました。意識が戻らないままの入院生活となりましたが、以前とは違う心持ちで受け止めることができました。目を覚まさないけれど、生きていてくれる、それが、どれほどありがたいことか。その日その日の命を頂く幸せに気付かせてもらったと美樹さんは語ります。
紬ちゃんは、4歳7カ月で、お兄ちゃんの元へ旅立ちました。お葬儀では、「紬は、よくがんばりました。この場にふさわしくないかもしれませんが、拍手で送ってやってください」とあいさつしました。
お子さんを亡くした時は、まるで自分の体の半身を削られているような感覚に陥り、喪失感に苦しんだと言います。その悲しみや苦しみをありのまま教会で受け止めてもらえたことで、いつの間にか「今日も一日無事に過ごせた。子どもたちのおかげ。神様のおかげ。みんなのおかげ。ありがたい」。こんなふうに思えるようになりました。
愛智さんご夫妻は、昨年飲食店をオープンしました。それは、何十年か先、いつか自分たちが亡くなった子どもたちに会った時、「あなたたちに守られていたから、こんなに楽しくて、こんなにいい人生が送れたよ」と話してあげられるようにしたい。そんな思いからでした。
(愛智)「子どものことや、教会の教えを踏まえて、ちょっと心が強くなったというか、お客さんに来てもらって、感謝を感じる回数が増えました。感謝というのは、ずっと教会が言ってくれてた言葉で、本当に今、心から感謝すると思える日が多い日々を送らせてもらってます」。
(ナレ)愛智さんご夫妻のように、人生には、どうすることもできない、あらがえない問題というものがあります。ご夫妻は、それを教会で受け止めてもらい、どうにか自らにも受け止めることができるようになりました。そして、自分たちが幸せになる道を選択し、歩みを進めることができました。
今、二人のお店に訪れるお客さんからは、「おいしかった。幸せな時間をありがとう」と言ってもらえる優しい空間を提供することができています。お客さんの背中を見送りながら、ご夫妻は今の幸せをかみしめています。
悲しみが悲しみのままで終わらない助かりの道があることを、愛智さんご夫妻が教えてくれています。