●先生のおはなし
「誰が為に助ける」
金光教姫路教会
竹部真幸 先生
(案内役)おはようございます。案内役の大林誠です。
今日は金光教姫路教会の教師、竹部真幸さんのお話です。タイトルは「誰が為に助ける」。お聞きください。
(本文)2011年に起こった東日本大震災は、人を助けるということについて私が真剣に考えるきっかけとなりました。
当時、私は滋賀県で学校の教員をしており、その日は卒業式でした。厚い雲が立ち込めるあいにくの天気でしたが、中庭では卒業生が、友人そして恩師との最後の時を過ごす、何とも和やかな柔らかい時間が流れていました。ふと違和感を覚え、神経を集中し、地面の揺れを感じた時には、東北地方に多くの死者と甚大なる被害を出した大災害が起こっていました。
地震発生から1カ月後の2011年4月、東北の地震とは別に、しかし同じくらいショックを受けた出来事がありました。それは私の大切な友人が、自ら命を絶ったという知らせでした。突然の訃報、最後まで理由も分からぬまま、見送ることとなりました。「なぜ私に相談してくれなかったのか」「助けられる方法はなかったのか」。悔しさがあふれ、涙が止まらず、立ち上がることができないほどでした。今振り返ってみても、私の人生でこれほど涙を流したことはありません。
2011年5月、何かに突き動かされるように、私は仲間と共に東北に向かっていました。「困っている人の役に立ちたい。何か自分でもできることをしたい」。そういう思いでボランティアに参加しました。福島では体育館で支援物資の仕分けを、石巻では住居に入り込んだ泥の運び出しのお手伝いをさせていただきました。
ボランティアから戻ると、多くの人が、「ボランティアなんて偉いね」「人のために何かできるなんてすごいね」と言ってくださいました。誰かの役に立てたのなら良かったと思う一方で、私の心の中には「何もできなかったんです」と叫びたい気持ちがありました。そして実際に、何もできなかったのです。大切な人を亡くされた人たち、大切な物を無くされた人たちの前で、かけられる言葉は何もなく、ただ目の前のことを粛々とやる。それが私の精いっぱいでした。
2011年8月、私は再び東北に向かいました。あるお宅で2日間泥をかき出すことになりました。2日続けてということもあり、その家に暮らしておられたおばあさんと世間話のような会話もできるようになりました。ほぼ全ての泥をかき出し、明日は帰る予定であることを告げた時のことです。別れ際に、私は何か伝えたいと思ったのです。頭の中に、「また来ます。それまで頑張ってください」という言葉が浮かびました。しかし、これ以上何を頑張るのでしょうか。「また」という言葉が、突然全てを失った人たちにかける言葉なのかという思いに駆られ、結局何も言えませんでした。そんな時でした。おばあさんは私の側まで来て、「ありがとう、ありがとう」と大粒の涙をこぼしながら、そして私の手を握りながら言ってくれたのです。「そんな大したことはできていません」。そう言おうとしましたが、口に出たのは「大丈夫ですよ。ありがとうございます」という言葉でした。本当に心が温かくなったと同時に、私の中で何かが変わったのです。「人を助けたい」と思っていた私が「人に助けられた」瞬間でした。
何が「大丈夫」で、何が「ありがとうございました」なのか。今、そのことを思い出しながら、私は、「人の身を助けて、わが身助かる」ということを思っています。大切な友人を失い、自分の無力さを責め、それを埋めるようにボランティアで誰かの力になろうとしていた私でしたが、この経験で本当に救われたのは私なのかもしれません。心の底から湧き出るような、本当の「ありがとう」は、今でも私を支えてくれています。
「人を助けよう」と言うと、「そんなきれいごとを」と言われたこともあります。それでも私は、今も困っている人を助けてあげたい、困っている人の役に立ちたいと思っています。それは誰かのためでもあり、自分のためでもあります。そしてそれは、あまねく多くの人々のためになると、私は信じているのです。
(案内役)いかがでしたか。
大切な友人を失った悲しみに打ちひしがれる竹部さんを救ったのは、被災地のおばあさんの「ありがとう」という言葉だったという。
人に喜んでもらえたら、自分もまたこの上なくうれしくなるものですね。それは、人間同士、みんな深いところでつながりあっているからではないでしょうか。
金光教の教祖は、「人はみな神の子である。この世に他人というものはない」と言い、そして、わが子がお互いに助け合って生きていくことを、親である神様は切に願われているのだと教えています。
人を助けると、人も自分も助かる。さらに神様もお喜びくださって、幸せの輪がさらに大きく広がっていく。そのことを信じて、私も今日を、何か人のお役に立つような一日にしたいと思います。